#積極的な性格に変化、パリの現地人のような生活 #フランス語の勉強開始、多様な人々との交流 #パリのすべてが愛おしく、韓国の外での自由

実はプロジェクトを進める前やパリに来てプロジェクトを進めながら、性格を変えなければならないと言われることが多かったのですが、思ったよりこれまで持って生きてきた性格を一度に変えるのは容易ではありませんでした。それでもゲストやスタッフの方々がたくさん助けてくださったおかげで、積極的な性格に変わる努力を多くすることができました。
-フランス パリ、ギャップイヤーステイ/チェ・ジョンフン ギャップイヤー族 ギャッパー/8週間のギャップイヤー |
現在の大韓民国は、
1年あたりの中高生の学業中断が6万人、夢がなくただ遊んでいる20代が34万6千人、就職後1年以内の転職率が40%台に突入、大学生の75%は大学生活に満足しておらず、社会人の80%以上が幸福を感じていないそうです。多くの人が夢を見るように言うが、現実的な方法や支援のないこの問題を解決するために 大韓民国にも『ギャップイヤー』を導入したいと考えています。
「ギャップイヤー(Gapyear)」とは、学業と仕事を並行するか一時的に休止して、ボランティア、旅行、インターン、教育、起業など様々な活動を通じてこれから進む方向を定める時間であり、アメリカ、ヨーロッパ、日本などで推奨されている文化です。
# 死ぬ前にぜひ一度行ってみたかったパリの地を踏む!

ギャップイヤーでコンサルティングを受けながら〈フランス パリ、ギャップイヤーステイ〉プロジェクトへの参加を勧められました。しかし経済的に余裕があまりなかった私は、実はプロジェクトに参加すること自体が非常に負担でした。ギャップイヤーステイの場合、別途の参加費はありませんでしたが、往復航空券や最低限の現地生活費さえ準備できておらず、気持ちもはっきり定まっていなかったためです。
それでもいつかパリに一度は行ってみたいという夢があったため、この機会に行ってみようと少し急いでプロジェクト参加を決め、約1か月間荷物の積み下ろしのアルバイトをして働いた結果、パリに行ける条件が整いました。
初めてヨーロッパの地、そしてその中でも死ぬ前に行きたかったパリで生活できるという思いから、13時間ほどの長時間フライトでも楽しい気持ちで機内食を食べながら耐えました。本当に不思議だったのは、フランスが韓国より8時間(サマータイム時は7時間)も遅いため、12時間飛行しても同じ日に到着したという点がとても不思議でした。そうしてドキドキしながら宿へ向かい、温かく迎えてくれるゲストハウスの仲間たちとともにパリでの生活が始まりました。

パリに到着したときは地下鉄に乗ってすぐ宿に来たので実感が湧きませんでしたが、時間がたち外を歩き回るうちに自分がパリに来たことを実感しました。最初に外に出て歩き回ったときは、すべてが不思議で興味深いことばかりでした。手で開ける地下鉄のドア、地下鉄で楽器を演奏する人々、韓国でも見かけるのが難しいほど平気で横断歩道を無視するパリの人々、公共の場所で愛する人に表現を惜しまない姿、そして古い建物の美しい姿をそのまま保存する様子まで。私にとってパリのすべてが本当に愛おしくてたまりませんでした。
初めパリに来たときは、実は大きな目標や特に達成したいことはなかったのですが、時間が経つにつれてやりたいことができました。とにかく長く滞在するとパリ、いやさらに進んでフランスという国についてもっと知りたくなり、そこでフランス語を少しずつ勉強し始めました。最初は話せる言葉がまったくなく何が何だかよく分かりませんでしたが、一つずつ読む方法を少しずつ習得し、簡単な単語が分かるようになってメニューを見て料理にどんな材料が入っているか程度はすぐに把握できるようになりました。
またパリで過ごすうちに自然とこの地の食べ物にも興味が湧き、特にパリは町中にパン屋が多くてパンに大きな関心を持つようになりました。韓国ではあまり食べなかったパンを、パリにいるときはパン好きのように一日に一個以上は欠かさず食べていたと思います。
# 変えたかった自分の性格、人と交わることで自然と変化する

このように外で遊び回る生活がある一方で、ゲストハウス内でスタッフとしての生活もあり、私は特に完全な休みでない日は夕方のアクティビティを担当しました。夕方の活動中は午後に宿に入ってきたお客さんたちと楽しいワインパーティーを開き、ゲストとあれこれ話をしながら和やかな雰囲気を作らなければなりませんでした。人に気軽に近づく能力が少し不足していた私には最初は大変でしたが、次第に自然と人に近づいて笑い、話し、騒ぐ新しい自分の姿を見つけることができました。
ゲストとともにあれこれ様々な話題の会話をたくさんしましたが、主に当日のお客さんの旅がどうだったか、今後どうするつもりかを尋ね、可能であればフィードバックをしながら話を続けました。一つの場所に長期間滞在していると経験がついてお客さんに教える楽しみもありました。時にはそうして親しくなり、翌日一緒に旅行先を回ることになったりして、初めて会う人ともすぐに打ち解けられる良い経験を多くできました。
そして、これまで書かなかった手紙を初めて、ゲストが家を去るたびに毎回書くようになりました。最初は手紙を書くのが非常に難しかったのですが、時間が経つにつれてゲストが出て行くときに手紙を渡せないと自分自身が寂しく感じるようになりました。一緒に過ごした思い出を振り返りながら文章を書き、その手紙を手渡し、チェックアウトしてお客さんが去るととても寂しかったです。
実はプロジェクトを進める前やパリに来てプロジェクトを進めながら、性格を変えなければならないと言われることが多かったのですが、思ったよりこれまで持って生きてきた性格を一度に変えるのは容易ではありませんでした。それでもゲストやスタッフの方々がたくさん助けてくださったおかげで、積極的な性格に変わる努力を多くすることができました。
# 旅行者ではなく地元の人の生活としてパリを楽しむ

パリに少し長く滞在してみると、壮大な幻想を抱いて来たパリも結局は人が暮らす場所でした。最初はワインとチーズを食べ、パンもよく食べ、ケバブ、クレープ、様々なデザートなどを食べて本当に良いなと思っていましたが、結局後には自然とこうした生活が私の日常にもなりました。つまり、パリに住む人々にとっては普通の生活を、私が長く滞在することで地元の人のように享受できるようになったことに感謝していました。
パリに滞在している間で一番良かったことを聞かれたら、どの路地に行っても見える古い建物の風景とその雰囲気がすべて良かったですが、あえて挙げるならエッフェル塔を眺めているときが一番良かったです。晴れの日も曇りの日も毎日見てまた見たくなるような存在と言えるでしょう。おそらくだから多くの人がエッフェル塔の写真を見て、エッフェル塔への幻想で芸術の都パリに来たいと思うのではないかと感じました。
もちろんゲストハウスでの生活は思っているほど自由ではないかもしれません。なぜなら平日の一日を除いては毎日少しずつ働く時間があり、また時には勤務時間が決まっているため希望する時間に出かけられないこともあるからです。私の場合は午後に勤務していましたが、パリのナイトライフが気になっていた私にとっては少し残念な点でした。
# 他人の目を気にせず本当に自分がやりたいことをした時間

私が滞在していた時期はテロ後という状況と閑散期が重なり客が少なかったので、ゲストハウスを宣伝するための記事を書いたり、時には施設の管理をしながら初めてフローリングを張る作業を経験したこともありました。それでもオーナーさんがとても便宜を図ってくださったので、過ごすには全く問題がなく、一緒に働いたスタッフたちも私の不足している面をたくさん補ってくれたので、韓国にいるときはほとんど一人だった私にとって、一緒に過ごす人がいるというだけで本当に感謝でした。
さらに、ゲストハウスでおばさんが朝晩作ってくれる韓国料理は、母に申し訳ないくらい家で食べるご飯より美味しくて韓国が恋しくならないほどでした。そのおかげでよく食べたので毎週1kgほど増量したようです。時にはオーナーさんがカステラを自ら作ってくれたり、地元の酒を体験させるためにモナコ(カクテル)を作ってくれて、ワインパーティーを楽しむほどパリでの時間はどれも良かったです。
本当に良かったのは、ただ『韓国の外にいる』というその環境自体がとても良かったことです。韓国にいるときは周りの人がどう思うかのせいかもしれませんが、ただすべてがつらかった。両親もそうだし親しかった人たちも、私が学校にあまり行かないとか学校をやめるだろうと言うと、みんな好意的には見てくれませんでしたが、パリに来てみると、韓国のように他人の基準で生きるのではなく、行きたい場所に行き、食べたいものを食べ、したいことをしているその時間が本当に大切だと気づき、誰よりも幸せなひとときを過ごすことができました。

夢は学校で作られるものでもなく、勉強をむやみに一生懸命やったからといって自分が何かになるというのは本当におかしいと思います。もちろん今こうして話している瞬間にも夢があるとか何かになりたいという考えがあるわけではないですが、最近は他人に言われた通りに生きてきた人生よりも幸せです。長短さまざまな旅、そしてパリのギャップイヤーステイを通して人生が少しずつ変わってきていると思っています。
ここで出会った現地の人や外国人に『どうして来たの?』と聞くと、やっていたことを中断したりやめて来たという人が多かった。あとで母国に戻ったらどうするの?と聞くと『行ってまた作り直せばいい』と彼らはあまりにも簡単に言うので驚きました。
韓国の人たちは周囲の視線をあまりにも意識しすぎて、簡単にはそうは考えられないようです。今ではもしまた韓国に戻ったら、周りの人の視線をあまり気にせず自由に自分のしたいように生きられると思います。そして好きな人ができたら惜しまず表現する自信もかなりつきました。もしいつも他人の言うとおりに生き、周囲の流れにただ従っていただけだったら、私は今ごろとても不幸な人の一人になっていただろう。
# パリでの忘れられない大切なたくさんの思い出
ゲストハウスがあったガリエニの家の近くのケバブ屋、よく行ったスーパー、オーシャン(Auchan)、道端で食べたクレープ、退屈すると立ち寄ってパンを食べていたポール、行くたびに気分が良くなるエッフェル塔、手動で開く地下鉄のドア、韓国で食べるご飯より美味しくて太る原因になったおばさんの料理、居心地の良いゲストハウス、親しみやすかったスタッフたちと優しいオーナーさん、良いゲストの方々、多くの観光客で見どころが多かったモンマルトルの丘、アモリーノのジェラート、使い捨て乗車券のカルネ、トロカデロ駅で降りると見える、エッフェル塔を見せてくれたフランス人のお兄さんたち(決まり文句で撮影を促していた)、地下鉄内の演奏者の方々、
ワインパーティーのときにオーナーさんが作ってくれたカステラとモナコ、いっしょにルーブルに行ったゲストのジヒョン、移動式の遊園地に一緒に行ったゲストの方々、そこで食べた5ユーロで揚げたてで出てくる巨大なチュロス12本、チョコパンだと思ったらエクレールという名前だったパン、活気あふれるサン=トゥアンの蚤の市、パリ市民の様子が見られたモンソー公園、そしてリパブリック駅広場のPain de Sucreで食べたミルフィーユ、マカロンで有名で行ったらケーキを買って出てきたピエール・エルメ、パリジャン気取りで行ったら高くて震えたサン=ジェルマン通りのレ・ドゥ・マゴのカフェ、ルーヴル美術館近くの閑静な庭園パレ・ロワイヤル、マドレーヌ広場で食べたフォションのマドレーヌ、そして写真に収めにくかったマドレーヌ寺院の雰囲気、

パリに来てまず最初にパリに来たことを実感させてくれたのはオペラ駅のオペラ・ガルニエのパン屋、Stohrerのラム酒に浸したパンであるババ・オ・ラム/ババ・オ・シャンティイ、ヘアカット一回44ユーロだったSaravy、モンパルナス・タワーから見下ろしたパリの夜景、偶然見つけたパリの競馬場、パリで見つけた韓国食材店、イースターが近づいて見かけたグランドのフェレロロシェ装飾、美しかったヴォージュ広場、マレ地区にあった中東の香りがぷんと漂っていたファラフェル店『L''As du Fallafel』、一緒にいたスタッフのウンビンとジュヨン姉さん、12時間の飛行機で窓の外の霜を見て胸が高鳴った瞬間、空港から宿にどう行けばいいか分からず慌てていたとき、初めて航空券を受け取ったあの瞬間、早朝にキャリーを詰めて仁川空港に向かったあのとき、これらすべての瞬間は本当にいつまでも忘れられないと思う。
どこかで「ポワン・ゼロを踏めばまたパリに戻ってくる」と言われたが、私はポワン・ゼロを踏んだことも見たこともないけれど、いつかまたパリに戻ってくるだろう。おそらく韓国に戻ってパンを買って食べたりワインを飲んだりチーズを食べたりケバブを食べたりクレープを食べたりしていると、パリでの思い出がとても恋しくなると思う。
私のギャップイヤーは
経験★★★★☆
実は海外でこんなに長く滞在したのは初めてで、短い旅行とは確実に違う魅力があるようです。機会があれば次はもっと長期間海外で暮らしてみたいと思うようになりました。
学び★★★★☆
ゲストハウスで生活しながらゲストへの対応の仕方を学び、パリを歩き回ることでここに住む人々がどのように暮らしているかも知ることができました。
環境★★★★★
韓国での生活が恋しいとは思わないほど良い住環境とおばさんの美味しいご飯、そして一緒に暮らす親切なスタッフのお姉さんや弟、オーナーさん、そして良いゲストの方々がいて楽しいひとときを過ごせたようです。
安全★★★★☆
人が住むところならどこでも似たようなものだと思います。滞在中に特に危険要素はありませんでしたが、外国人を対象にスリなどの犯罪が起きることもあるので、多少の警戒は持っている方が良いです。
余暇★★★★☆
勤務時間以外の時間はほとんど宿の外に出て自由な時間を過ごしていました。
<クリーンコメントキャンペーン>
私たちギャップイヤーは、ギャップイヤーを経験しているすべての皆さんを愛しています!
たとえギャップイヤー族やギャッパーの方々のギャップイヤー期間中の活動内容や経験が
自分の考えと違っても誹謗中傷コメントはやめてください!:(
ギャップイヤー族やギャッパーの方々の人格および権利の保護の観点からギャッパーの方々に対する無差別な悪質なコメントは
自ら管理および削除するだけでなく積極的かつ強力に対応する予定です。

実はプロジェクトを進める前やパリに来てプロジェクトを進めながら、性格を変えなければならないと言われることが多かったのですが、思ったよりこれまで持って生きてきた性格を一度に変えるのは容易ではありませんでした。それでもゲストやスタッフの方々がたくさん助けてくださったおかげで、積極的な性格に変わる努力を多くすることができました。
-フランス パリ、ギャップイヤーステイ/チェ・ジョンフン ギャップイヤー族 ギャッパー/8週間のギャップイヤー |
現在の大韓民国は、
1年あたりの中高生の学業中断が6万人、夢がなくただ遊んでいる20代が34万6千人、就職後1年以内の転職率が40%台に突入、大学生の75%は大学生活に満足しておらず、社会人の80%以上が幸福を感じていないそうです。多くの人が夢を見るように言うが、現実的な方法や支援のないこの問題を解決するために 大韓民国にも『ギャップイヤー』を導入したいと考えています。
「ギャップイヤー(Gapyear)」とは、学業と仕事を並行するか一時的に休止して、ボランティア、旅行、インターン、教育、起業など様々な活動を通じてこれから進む方向を定める時間であり、アメリカ、ヨーロッパ、日本などで推奨されている文化です。
# 死ぬ前にぜひ一度行ってみたかったパリの地を踏む!

ギャップイヤーでコンサルティングを受けながら〈フランス パリ、ギャップイヤーステイ〉プロジェクトへの参加を勧められました。しかし経済的に余裕があまりなかった私は、実はプロジェクトに参加すること自体が非常に負担でした。ギャップイヤーステイの場合、別途の参加費はありませんでしたが、往復航空券や最低限の現地生活費さえ準備できておらず、気持ちもはっきり定まっていなかったためです。
それでもいつかパリに一度は行ってみたいという夢があったため、この機会に行ってみようと少し急いでプロジェクト参加を決め、約1か月間荷物の積み下ろしのアルバイトをして働いた結果、パリに行ける条件が整いました。
初めてヨーロッパの地、そしてその中でも死ぬ前に行きたかったパリで生活できるという思いから、13時間ほどの長時間フライトでも楽しい気持ちで機内食を食べながら耐えました。本当に不思議だったのは、フランスが韓国より8時間(サマータイム時は7時間)も遅いため、12時間飛行しても同じ日に到着したという点がとても不思議でした。そうしてドキドキしながら宿へ向かい、温かく迎えてくれるゲストハウスの仲間たちとともにパリでの生活が始まりました。

パリに到着したときは地下鉄に乗ってすぐ宿に来たので実感が湧きませんでしたが、時間がたち外を歩き回るうちに自分がパリに来たことを実感しました。最初に外に出て歩き回ったときは、すべてが不思議で興味深いことばかりでした。手で開ける地下鉄のドア、地下鉄で楽器を演奏する人々、韓国でも見かけるのが難しいほど平気で横断歩道を無視するパリの人々、公共の場所で愛する人に表現を惜しまない姿、そして古い建物の美しい姿をそのまま保存する様子まで。私にとってパリのすべてが本当に愛おしくてたまりませんでした。
初めパリに来たときは、実は大きな目標や特に達成したいことはなかったのですが、時間が経つにつれてやりたいことができました。とにかく長く滞在するとパリ、いやさらに進んでフランスという国についてもっと知りたくなり、そこでフランス語を少しずつ勉強し始めました。最初は話せる言葉がまったくなく何が何だかよく分かりませんでしたが、一つずつ読む方法を少しずつ習得し、簡単な単語が分かるようになってメニューを見て料理にどんな材料が入っているか程度はすぐに把握できるようになりました。
またパリで過ごすうちに自然とこの地の食べ物にも興味が湧き、特にパリは町中にパン屋が多くてパンに大きな関心を持つようになりました。韓国ではあまり食べなかったパンを、パリにいるときはパン好きのように一日に一個以上は欠かさず食べていたと思います。
# 変えたかった自分の性格、人と交わることで自然と変化する

このように外で遊び回る生活がある一方で、ゲストハウス内でスタッフとしての生活もあり、私は特に完全な休みでない日は夕方のアクティビティを担当しました。夕方の活動中は午後に宿に入ってきたお客さんたちと楽しいワインパーティーを開き、ゲストとあれこれ話をしながら和やかな雰囲気を作らなければなりませんでした。人に気軽に近づく能力が少し不足していた私には最初は大変でしたが、次第に自然と人に近づいて笑い、話し、騒ぐ新しい自分の姿を見つけることができました。
ゲストとともにあれこれ様々な話題の会話をたくさんしましたが、主に当日のお客さんの旅がどうだったか、今後どうするつもりかを尋ね、可能であればフィードバックをしながら話を続けました。一つの場所に長期間滞在していると経験がついてお客さんに教える楽しみもありました。時にはそうして親しくなり、翌日一緒に旅行先を回ることになったりして、初めて会う人ともすぐに打ち解けられる良い経験を多くできました。
そして、これまで書かなかった手紙を初めて、ゲストが家を去るたびに毎回書くようになりました。最初は手紙を書くのが非常に難しかったのですが、時間が経つにつれてゲストが出て行くときに手紙を渡せないと自分自身が寂しく感じるようになりました。一緒に過ごした思い出を振り返りながら文章を書き、その手紙を手渡し、チェックアウトしてお客さんが去るととても寂しかったです。
実はプロジェクトを進める前やパリに来てプロジェクトを進めながら、性格を変えなければならないと言われることが多かったのですが、思ったよりこれまで持って生きてきた性格を一度に変えるのは容易ではありませんでした。それでもゲストやスタッフの方々がたくさん助けてくださったおかげで、積極的な性格に変わる努力を多くすることができました。
# 旅行者ではなく地元の人の生活としてパリを楽しむ

パリに少し長く滞在してみると、壮大な幻想を抱いて来たパリも結局は人が暮らす場所でした。最初はワインとチーズを食べ、パンもよく食べ、ケバブ、クレープ、様々なデザートなどを食べて本当に良いなと思っていましたが、結局後には自然とこうした生活が私の日常にもなりました。つまり、パリに住む人々にとっては普通の生活を、私が長く滞在することで地元の人のように享受できるようになったことに感謝していました。
パリに滞在している間で一番良かったことを聞かれたら、どの路地に行っても見える古い建物の風景とその雰囲気がすべて良かったですが、あえて挙げるならエッフェル塔を眺めているときが一番良かったです。晴れの日も曇りの日も毎日見てまた見たくなるような存在と言えるでしょう。おそらくだから多くの人がエッフェル塔の写真を見て、エッフェル塔への幻想で芸術の都パリに来たいと思うのではないかと感じました。
もちろんゲストハウスでの生活は思っているほど自由ではないかもしれません。なぜなら平日の一日を除いては毎日少しずつ働く時間があり、また時には勤務時間が決まっているため希望する時間に出かけられないこともあるからです。私の場合は午後に勤務していましたが、パリのナイトライフが気になっていた私にとっては少し残念な点でした。
# 他人の目を気にせず本当に自分がやりたいことをした時間

私が滞在していた時期はテロ後という状況と閑散期が重なり客が少なかったので、ゲストハウスを宣伝するための記事を書いたり、時には施設の管理をしながら初めてフローリングを張る作業を経験したこともありました。それでもオーナーさんがとても便宜を図ってくださったので、過ごすには全く問題がなく、一緒に働いたスタッフたちも私の不足している面をたくさん補ってくれたので、韓国にいるときはほとんど一人だった私にとって、一緒に過ごす人がいるというだけで本当に感謝でした。
さらに、ゲストハウスでおばさんが朝晩作ってくれる韓国料理は、母に申し訳ないくらい家で食べるご飯より美味しくて韓国が恋しくならないほどでした。そのおかげでよく食べたので毎週1kgほど増量したようです。時にはオーナーさんがカステラを自ら作ってくれたり、地元の酒を体験させるためにモナコ(カクテル)を作ってくれて、ワインパーティーを楽しむほどパリでの時間はどれも良かったです。
本当に良かったのは、ただ『韓国の外にいる』というその環境自体がとても良かったことです。韓国にいるときは周りの人がどう思うかのせいかもしれませんが、ただすべてがつらかった。両親もそうだし親しかった人たちも、私が学校にあまり行かないとか学校をやめるだろうと言うと、みんな好意的には見てくれませんでしたが、パリに来てみると、韓国のように他人の基準で生きるのではなく、行きたい場所に行き、食べたいものを食べ、したいことをしているその時間が本当に大切だと気づき、誰よりも幸せなひとときを過ごすことができました。

夢は学校で作られるものでもなく、勉強をむやみに一生懸命やったからといって自分が何かになるというのは本当におかしいと思います。もちろん今こうして話している瞬間にも夢があるとか何かになりたいという考えがあるわけではないですが、最近は他人に言われた通りに生きてきた人生よりも幸せです。長短さまざまな旅、そしてパリのギャップイヤーステイを通して人生が少しずつ変わってきていると思っています。
ここで出会った現地の人や外国人に『どうして来たの?』と聞くと、やっていたことを中断したりやめて来たという人が多かった。あとで母国に戻ったらどうするの?と聞くと『行ってまた作り直せばいい』と彼らはあまりにも簡単に言うので驚きました。
韓国の人たちは周囲の視線をあまりにも意識しすぎて、簡単にはそうは考えられないようです。今ではもしまた韓国に戻ったら、周りの人の視線をあまり気にせず自由に自分のしたいように生きられると思います。そして好きな人ができたら惜しまず表現する自信もかなりつきました。もしいつも他人の言うとおりに生き、周囲の流れにただ従っていただけだったら、私は今ごろとても不幸な人の一人になっていただろう。
# パリでの忘れられない大切なたくさんの思い出
ゲストハウスがあったガリエニの家の近くのケバブ屋、よく行ったスーパー、オーシャン(Auchan)、道端で食べたクレープ、退屈すると立ち寄ってパンを食べていたポール、行くたびに気分が良くなるエッフェル塔、手動で開く地下鉄のドア、韓国で食べるご飯より美味しくて太る原因になったおばさんの料理、居心地の良いゲストハウス、親しみやすかったスタッフたちと優しいオーナーさん、良いゲストの方々、多くの観光客で見どころが多かったモンマルトルの丘、アモリーノのジェラート、使い捨て乗車券のカルネ、トロカデロ駅で降りると見える、エッフェル塔を見せてくれたフランス人のお兄さんたち(決まり文句で撮影を促していた)、地下鉄内の演奏者の方々、
ワインパーティーのときにオーナーさんが作ってくれたカステラとモナコ、いっしょにルーブルに行ったゲストのジヒョン、移動式の遊園地に一緒に行ったゲストの方々、そこで食べた5ユーロで揚げたてで出てくる巨大なチュロス12本、チョコパンだと思ったらエクレールという名前だったパン、活気あふれるサン=トゥアンの蚤の市、パリ市民の様子が見られたモンソー公園、そしてリパブリック駅広場のPain de Sucreで食べたミルフィーユ、マカロンで有名で行ったらケーキを買って出てきたピエール・エルメ、パリジャン気取りで行ったら高くて震えたサン=ジェルマン通りのレ・ドゥ・マゴのカフェ、ルーヴル美術館近くの閑静な庭園パレ・ロワイヤル、マドレーヌ広場で食べたフォションのマドレーヌ、そして写真に収めにくかったマドレーヌ寺院の雰囲気、

パリに来てまず最初にパリに来たことを実感させてくれたのはオペラ駅のオペラ・ガルニエのパン屋、Stohrerのラム酒に浸したパンであるババ・オ・ラム/ババ・オ・シャンティイ、ヘアカット一回44ユーロだったSaravy、モンパルナス・タワーから見下ろしたパリの夜景、偶然見つけたパリの競馬場、パリで見つけた韓国食材店、イースターが近づいて見かけたグランドのフェレロロシェ装飾、美しかったヴォージュ広場、マレ地区にあった中東の香りがぷんと漂っていたファラフェル店『L''As du Fallafel』、一緒にいたスタッフのウンビンとジュヨン姉さん、12時間の飛行機で窓の外の霜を見て胸が高鳴った瞬間、空港から宿にどう行けばいいか分からず慌てていたとき、初めて航空券を受け取ったあの瞬間、早朝にキャリーを詰めて仁川空港に向かったあのとき、これらすべての瞬間は本当にいつまでも忘れられないと思う。
どこかで「ポワン・ゼロを踏めばまたパリに戻ってくる」と言われたが、私はポワン・ゼロを踏んだことも見たこともないけれど、いつかまたパリに戻ってくるだろう。おそらく韓国に戻ってパンを買って食べたりワインを飲んだりチーズを食べたりケバブを食べたりクレープを食べたりしていると、パリでの思い出がとても恋しくなると思う。
私のギャップイヤーは
経験★★★★☆
実は海外でこんなに長く滞在したのは初めてで、短い旅行とは確実に違う魅力があるようです。機会があれば次はもっと長期間海外で暮らしてみたいと思うようになりました。
学び★★★★☆
ゲストハウスで生活しながらゲストへの対応の仕方を学び、パリを歩き回ることでここに住む人々がどのように暮らしているかも知ることができました。
環境★★★★★
韓国での生活が恋しいとは思わないほど良い住環境とおばさんの美味しいご飯、そして一緒に暮らす親切なスタッフのお姉さんや弟、オーナーさん、そして良いゲストの方々がいて楽しいひとときを過ごせたようです。
安全★★★★☆
人が住むところならどこでも似たようなものだと思います。滞在中に特に危険要素はありませんでしたが、外国人を対象にスリなどの犯罪が起きることもあるので、多少の警戒は持っている方が良いです。
余暇★★★★☆
勤務時間以外の時間はほとんど宿の外に出て自由な時間を過ごしていました。
<クリーンコメントキャンペーン>
私たちギャップイヤーは、ギャップイヤーを経験しているすべての皆さんを愛しています!
たとえギャップイヤー族やギャッパーの方々のギャップイヤー期間中の活動内容や経験が
自分の考えと違っても誹謗中傷コメントはやめてください!:(
ギャップイヤー族やギャッパーの方々の人格および権利の保護の観点からギャッパーの方々に対する無差別な悪質なコメントは
自ら管理および削除するだけでなく積極的かつ強力に対応する予定です。
このプロジェクトが特別な理由