#新しいことに挑戦しながら成長した #自分を愛する方法、達成感 #心を開いて近づくことの重要性
彼らは私が東洋人か西洋人か、学歴がどうか、どこに住んでいるか、お金持ちかどうかといったことには興味がなかった。彼らはただ私をユスジェという一人の人間として見てくれた。 -韓国語教育を通してベトナム・ホーチミンの学生たちに夢の翼を授けること/ユスジェ・ギャップイヤー・ギャッパー/8週間のギャップイヤー |
# 自分をもう少し愛してあげたかった。
学業と短い就職を終え、別の学業を始めようとしたが、こんなに休むことなく走り続ける私を見た叔父がたまたまアン・シジュン代表の本を読んでいて勧めてくれた。行く前に本を貸してくれることになったが、結局本は借りられなかった。苦い…
私は今回のギャップイヤーを通してまず自分自身が少し回復することを望んだ。人生であまりに疲れているように感じたからだ。何かを終えてまた別の何かに挑戦する前に自分自身さえ知らず、何のために生き、何をしたいのかも分からないままただムチを打たれているように感じたからだ。
さらに、自分をもう少し愛してあげたかった。再受験は結局予備番号で失敗し、表面には出さなかったが内心では自分が本当に情けなく哀れだった。
# ベトナムで学んだこと

1. 韓国という国に少し誇りを持てるようになった。
韓国という国は国内では罵られ軽んじられることがあるが、海外に出るとこのように認められる文化で、人々に求められ好かれているのだと感じることができた。
2. 自分自身に誇りを持てるようになった。
人々が私を好んでくれたり慕ってくれることへの誇りではなく、「私は本当に良い人だな」「私も他人にこう接することができるんだ」「私は本当に温かい人だな」といった心の声を聞くことができた。
これまでは自分が自分を見る評価は限りなく厳しく冷徹だった。だから私は自分を愛せず、自分をどこか欠けた人間、何かがもっと満たされなければならない人間だと考え、何度も自分自身を自分ではない何かで埋めようとした。しかしそれは文字通り自分自身のものではなかった。自分が持っているものを見ずに自分が持ちたいものだけを見ようとしたため、その乖離から来る 自己卑下を自分だけで背負っていたのだ。
今回の挑戦と完璧な一人立ちを通して私は自分自身だけを見ることができ、その途中で生まれて初めて私を見た人々の言葉も私にとって本当に大きな力になった。彼らは私が東洋人か西洋人か、学歴がどうか、どこに住んでいるか、お金持ちかどうかといったことに興味がなかった。彼らはただ私をユスジェという一人の人間として見てくれた。
私の性格を見て、普段の行動から私がどんな考えを持っているか、どんな態度で人に接しているかを見てくれた。そしてそれらの事実を私に遠慮なく自然な雰囲気で伝えてくれた。その一言一言が私には大きな響きとなり、心からありがたかった。さらには私が他人に対してあまりにも温かかったため、私をゲイと誤解した友人までいた。私はこのようなもてなしを生まれて一度も受けたことがなかったので、自分をこのように見てくれる人に驚き、自分自身にこのような面があったという事実にも二度驚いた。

3. 挑戦することは難しいことではないと感じた。
私は挑戦と言えば事業を始めなければならないように思い、海外旅行に出てやったことのないすごいことを始めなければならないように思い、フラッシュモブでも作らなければならないと思っていた。しかし私がした挑戦はそんなものではなかった。市場で値段を交渉すること、外国人の友達に「スジェ、愛してます」と言わせること、初めて会う人に話しかけて彼らの話を聞くこと、自分が行かなかった道に進むこと、自分の人生を振り返り目次にしてみること、そうしたことがすべて挑戦だったのだ。
挑戦とは大きく壮大なことではなく、習慣的にやっていたことに小さな変化を与えることだと気づいた。毎日アルバイトに行くとしても、行く途中で両親に「愛してます」と一通メッセージを送ること、普段と違うバスに乗ってみることや自転車でアルバイトに行ってみること、1時間早く出ていたのを30分早く出て風景写真を撮ること、そうしたことがすべて挑戦になり得るのだ。
# 心を開いて近づけば彼らも心を開いて迎えてくれた。

実は振り返ってみると、こうしたことは海外ではそれほど難しいことではないのかもしれない。単にスーパーに行き、フォーを食べ、コーヒーを買って飲むことは誰にでもできる簡単なことだ。しかし…私にとっては本当に大きな挑戦だった。私は一度も海外に出たことのない井の中の蛙だった。新しいことへの挑戦を怖がり、何なのか分からないままただ逃げ回っていた。新しいことにぶつかることは私にとって本当に大きなストレスだったので、私は最も小さなことでも無条件に挑戦しなければならない状況だった。
そして約2ヶ月が過ぎ、一人でオートバイタクシーにも乗るほど自然に適応できた。そしてオートバイの後ろで(危険かもしれないが)オートバイ自体を楽しんでいた。ギャップイヤーのミッションであった市場での値切りミッションでも、知らず知らずのうちに値切りをして店主と写真を撮る過程を楽しんでいた。それだけギャップイヤーを通して私が無理やりこれらすべてを克服しようとしているのではなく、こうして訪れる新しいことを自分自身で楽しんでいたということに、私自身も驚いた。
そして始まった韓国語教育では、生徒たちの情熱というものがこういうものなのだという新鮮さを経験した。もちろん私が教える経験も新しく不思議な経験ではあったが、子どもたちが見せる韓国語に対する情熱は、私が思っていた高校時代の外国語の先生の時間とは異なるものだった。最初はそのような情熱が重荷で、本当に私が何かを教える資格があるのだろうかと思ったが、次第に彼らの情熱に私も感化されて知らず知らずのうちに子どもたちと一緒に授業を情熱的に進めている自分の姿を見ることができた。
もちろん授業の質は私が考えても本当に不足している点が多かった。高校時代に国語の勉強は熱心にしたが国文学科ではなかったため、子どもたちに混乱させるかもしれない文法をきちんと教えられなかったこともあり、学生たちにより多くの授業資料や表現を教えられず残念に思う点も確かにあった。それでも生徒たちの情熱から学ぶことができ、初めてのボランティアと授業を楽しむことができた。
ギャップイヤーは本当に行く行く前には外国人にむやみに近づけず、韓国に住んでいることが幸せだと思っていた。しかし参加後には思ったより多くの人々が外国人への配慮を持っていて(もちろん全員がそうとは限らないが)お互いに理解し合って共に暮らしているのだ。特に旅行者同士ではなおさらだ。
ギャップイヤーを通じて私は新しいことに挑戦することに慣れることができ、挑戦を成功させることで得られる達成感が私をより成長させ、さらに自分をより愛せるようにしてくれた。 耐えるのが辛くて2〜3週間ほどは本当に帰りたいと思った瞬間が多かったが、結局はそのすべての時間が重なって私自身だけを完全に見つめられる時間にしてくれた。
また私は数多くの新しい人々や新しい言語、新しい環境、新しい状況を経験した。しかしその中で私が気持ちを閉ざして過ごしていたなら何も得られずすぐに帰っていただろう。しかし…心を開いてこちらから近づくと彼らも心を開いて迎えてくれた。新しいことを学び、新しいことを楽しめるようにしてくれた現地で出会った人々とギャップイヤーに感謝する。
# 私だけのベトナム旅行地

北部 / ホーチミン - ハノイ - サパ - ラオカイ - ハノイ - ニンビン - ホーチミン
ホーチミンからハノイへ飛行機で行った。そして帰るときはスリーピングバスを利用した。結論は必ず飛行機に乗れ。スリーピングバスは新しい経験だがとても疲れる。ハノイからサパへ移動するときはアメリカ人の家族と一緒に移動した。
彼らはバンをレンタルして席がたくさんあった。サパへ上るときや降りるときは道がかなり険しいので酔い止めを持って行け。あるいは酔い止め用の袋でも一つ持って行け。私は降りるときに結局吐いた。ラオカイで実際に最も印象的だったのは、中国と川一つで国境を接している様子を見たときだ。
隣に中国人がいて、歩いてベトナムを移動できると教えてくれたとき、私の衝撃はまるで島国のそれのようだった。歩いて他国を移動するということがこんなに衝撃的になり得るとは気づかなかった。その後、ニンビンという地域はタクシーで移動したが本当に美しかった。ただしタクシーで移動するとかなりお金がかかるので、できれば旅行会社を利用するか単にオートバイを借りるのが良いだろう。
南部 / ホーチミン –(ダラット)、(ムイネ)/本当に行きたかったが予算不足で無理だった – メコンデルタ
メコンデルタは日帰りで行くことをおすすめする。1日行くだけでもへとへとになるほど疲れる。理由は、中間中間で船に乗って移動するのが最初は面白いが、2~3回乗り降りすると疲れるからだ。最後の方で乗るカヌーが一番面白くて、他はただ景観を眺めるだけだ。運行中にマングローブの森を通ることがあり、そのとき船の前方で写真を撮らせてくれるので必ず撮ってくることをおすすめする。
ホーチミン市内はただ歩き回っても十分だ。ただし、サイゴン動物園からビンコムセンターや統一会堂といったルートを組むと歩き疲れてしまうので、ウーバーのオートバイを呼んで乗りなさい。1万ドンしかかからず思ったより便利だ。
# 私のギャップイヤーTIP

(言語)
事前の学習方法は特にない。一番良いのは留学、次が語学学校で、最低でも大学入試英語の勉強はもっと真面目にやっておくべきだった…ただし、話せなくてもリスニングだけは必ずやっておこう。聞き取れないと翻訳アプリも使えない。
ただ口を利けなくなるだけだ。もちろん最初は聞き取れるだけで話せず、自尊心が粉々になったが、徐々に単語を思い出し文法を当てはめていけば流暢でなくてもつっかえながら自己紹介くらいはできるようになる。そうしていくうちに相手と冗談を言い合って笑えるようにもなるから、何も準備していないなら高校レベルの単語を覚えるか、せめて海外ドラマ(アメリカドラマ)を見ていきなさい。『フレンズ』は難しいのでむしろ『ゲーム・オブ・スローンズ』を見てみて。面白いし英語も聞き取りやすい。
(宿泊)
宿泊施設はかなり良い。意外と清潔で、Wi-Fiも韓国ほどではないがよくつながり、毎日掃除もしてくれる。しかも冷蔵庫が4台もあり、大きな水を1本買っておけば浄水器もあってずっと飲める。
しかし、夜の授業があると平日にはバスが運行されないためタクシーで来ない限り、ボランティア先で寝泊まりしなければならず、その状態は本当にひどい。例えばボランティア先の部屋で何かを食べるとゴキブリやネズミが出ることもあるので注意すべきだ。
そういうわけで、ギャップイヤーで推薦された場所に泊まるように最大限努力し、それがあまりに疲れるなら周辺に日泊20万ドン、1ヶ月宿泊150万ドンという容赦ない価格設定の宿泊施設があるので1日休むのも悪くない。また授業時間は初めの方で調整できるのでその点を参考に調整してほしい。
英語を誤解したのかと思い1500万ドンかとも考えたが、150万ドンという現地コーディネーターの言葉を信じることにした。これは市内の物価基準ではなくホーチミンの端にある小さな街の計算なので参考にしてほしい。ちなみに150万ドンは約8〜9万ウォン、1500万ドンは約80〜90万ウォンほどだ。

(食事)
宿に着いたら数日間はただで渡されるチケットでレストランのメニューを一通り食べてみなさい。そして一度全部食べたら、その後は道端の市場に飛び込んで英語のように大まかに読めばだいたい通じる。というのも、ここではメニューの種類がやたらと多い店があり(一つの店で約100種類を超えることもある)
市場のような場所で売っている屋台の料理は主に1〜3種類の主力メニューなので大きく表示してあり、壁の文字を大まかに読めば持ってきてくれる。例)PHO BOなら声調が上に書いてあるだろうが無視して「フォー・ボー」と読めば店側が適当に人数分のフォーを持ってきてくれる感じ。だから指差しのようなボディランゲージでも侮辱と受け取られないので、美味しそうなら思い切って入って、読めれば読んで、指差しでもして周りの料理をたくさん食べなさい。
現地の友達がいれば一番いいが…宿で無料で出されるレストランの食事は、食べるものがなければ食べなさい。なぜなら周辺の飲食店で食べる方が宿で無料で出される食事よりずっと近いからだ。本当に毎日暑い中歩いて昼食に行くのは疲れ切る。できるだけ近くで美味しいものを食べなさい。ベトナムは食べ物に関しては本当に美味しいものが探せばたくさんある。
(持ち物)
持ち物は天気を見て用意しなさい。暑ければ靴は必ずサンダルに。(計画に山がないという前提で)そして本やノートは行っても結局使わないから持って行かず、必要なら薄手のものを1つ買えばいい。薬もおばあちゃんがくれるからといって全部持って行くな。君は思ったより強い。実際病気にもあまりならない。たまに一度かかるくらいでせいぜい頭痛薬が少し必要な程度で、湿布を貼るようなことは農村ボランティアに行くなど特別な場合でなければない。
その代わりにタオルをもっと持って行きなさい。君は毎日シャワーを浴びることになるだろう。そしてどんなにボランティア活動でも可愛い服を何枚か持って行きなさい。本当にボランティアだからといってみすぼらしい格好ばかりしていると、大事な瞬間にみすぼらしい姿で写った写真ばかりを見て、自分の内面で自己嫌悪と後悔にうずくまっているかもしれない。(私はそうだった。)
(参加予定者へ)
韓国語の授業は思ったより難しくない。テーマを決めてそのテーマで会話を作ったり、韓国語の映像を通して実生活で使う韓国語を教えると喜ばれる。特に『ランニングマン』や韓国ドラマ、K-POPが好きなので参考にしてください〜
彼らは私が東洋人か西洋人か、学歴がどうか、どこに住んでいるか、お金持ちかどうかといったことには興味がなかった。彼らはただ私をユスジェという一人の人間として見てくれた。 -韓国語教育を通してベトナム・ホーチミンの学生たちに夢の翼を授けること/ユスジェ・ギャップイヤー・ギャッパー/8週間のギャップイヤー |
# 自分をもう少し愛してあげたかった。
学業と短い就職を終え、別の学業を始めようとしたが、こんなに休むことなく走り続ける私を見た叔父がたまたまアン・シジュン代表の本を読んでいて勧めてくれた。行く前に本を貸してくれることになったが、結局本は借りられなかった。苦い…
私は今回のギャップイヤーを通してまず自分自身が少し回復することを望んだ。人生であまりに疲れているように感じたからだ。何かを終えてまた別の何かに挑戦する前に自分自身さえ知らず、何のために生き、何をしたいのかも分からないままただムチを打たれているように感じたからだ。
さらに、自分をもう少し愛してあげたかった。再受験は結局予備番号で失敗し、表面には出さなかったが内心では自分が本当に情けなく哀れだった。
# ベトナムで学んだこと

1. 韓国という国に少し誇りを持てるようになった。
韓国という国は国内では罵られ軽んじられることがあるが、海外に出るとこのように認められる文化で、人々に求められ好かれているのだと感じることができた。
2. 自分自身に誇りを持てるようになった。
人々が私を好んでくれたり慕ってくれることへの誇りではなく、「私は本当に良い人だな」「私も他人にこう接することができるんだ」「私は本当に温かい人だな」といった心の声を聞くことができた。
これまでは自分が自分を見る評価は限りなく厳しく冷徹だった。だから私は自分を愛せず、自分をどこか欠けた人間、何かがもっと満たされなければならない人間だと考え、何度も自分自身を自分ではない何かで埋めようとした。しかしそれは文字通り自分自身のものではなかった。自分が持っているものを見ずに自分が持ちたいものだけを見ようとしたため、その乖離から来る 自己卑下を自分だけで背負っていたのだ。
今回の挑戦と完璧な一人立ちを通して私は自分自身だけを見ることができ、その途中で生まれて初めて私を見た人々の言葉も私にとって本当に大きな力になった。彼らは私が東洋人か西洋人か、学歴がどうか、どこに住んでいるか、お金持ちかどうかといったことに興味がなかった。彼らはただ私をユスジェという一人の人間として見てくれた。
私の性格を見て、普段の行動から私がどんな考えを持っているか、どんな態度で人に接しているかを見てくれた。そしてそれらの事実を私に遠慮なく自然な雰囲気で伝えてくれた。その一言一言が私には大きな響きとなり、心からありがたかった。さらには私が他人に対してあまりにも温かかったため、私をゲイと誤解した友人までいた。私はこのようなもてなしを生まれて一度も受けたことがなかったので、自分をこのように見てくれる人に驚き、自分自身にこのような面があったという事実にも二度驚いた。

3. 挑戦することは難しいことではないと感じた。
私は挑戦と言えば事業を始めなければならないように思い、海外旅行に出てやったことのないすごいことを始めなければならないように思い、フラッシュモブでも作らなければならないと思っていた。しかし私がした挑戦はそんなものではなかった。市場で値段を交渉すること、外国人の友達に「スジェ、愛してます」と言わせること、初めて会う人に話しかけて彼らの話を聞くこと、自分が行かなかった道に進むこと、自分の人生を振り返り目次にしてみること、そうしたことがすべて挑戦だったのだ。
挑戦とは大きく壮大なことではなく、習慣的にやっていたことに小さな変化を与えることだと気づいた。毎日アルバイトに行くとしても、行く途中で両親に「愛してます」と一通メッセージを送ること、普段と違うバスに乗ってみることや自転車でアルバイトに行ってみること、1時間早く出ていたのを30分早く出て風景写真を撮ること、そうしたことがすべて挑戦になり得るのだ。
# 心を開いて近づけば彼らも心を開いて迎えてくれた。

実は振り返ってみると、こうしたことは海外ではそれほど難しいことではないのかもしれない。単にスーパーに行き、フォーを食べ、コーヒーを買って飲むことは誰にでもできる簡単なことだ。しかし…私にとっては本当に大きな挑戦だった。私は一度も海外に出たことのない井の中の蛙だった。新しいことへの挑戦を怖がり、何なのか分からないままただ逃げ回っていた。新しいことにぶつかることは私にとって本当に大きなストレスだったので、私は最も小さなことでも無条件に挑戦しなければならない状況だった。
そして約2ヶ月が過ぎ、一人でオートバイタクシーにも乗るほど自然に適応できた。そしてオートバイの後ろで(危険かもしれないが)オートバイ自体を楽しんでいた。ギャップイヤーのミッションであった市場での値切りミッションでも、知らず知らずのうちに値切りをして店主と写真を撮る過程を楽しんでいた。それだけギャップイヤーを通して私が無理やりこれらすべてを克服しようとしているのではなく、こうして訪れる新しいことを自分自身で楽しんでいたということに、私自身も驚いた。
そして始まった韓国語教育では、生徒たちの情熱というものがこういうものなのだという新鮮さを経験した。もちろん私が教える経験も新しく不思議な経験ではあったが、子どもたちが見せる韓国語に対する情熱は、私が思っていた高校時代の外国語の先生の時間とは異なるものだった。最初はそのような情熱が重荷で、本当に私が何かを教える資格があるのだろうかと思ったが、次第に彼らの情熱に私も感化されて知らず知らずのうちに子どもたちと一緒に授業を情熱的に進めている自分の姿を見ることができた。
もちろん授業の質は私が考えても本当に不足している点が多かった。高校時代に国語の勉強は熱心にしたが国文学科ではなかったため、子どもたちに混乱させるかもしれない文法をきちんと教えられなかったこともあり、学生たちにより多くの授業資料や表現を教えられず残念に思う点も確かにあった。それでも生徒たちの情熱から学ぶことができ、初めてのボランティアと授業を楽しむことができた。
ギャップイヤーは本当に行く行く前には外国人にむやみに近づけず、韓国に住んでいることが幸せだと思っていた。しかし参加後には思ったより多くの人々が外国人への配慮を持っていて(もちろん全員がそうとは限らないが)お互いに理解し合って共に暮らしているのだ。特に旅行者同士ではなおさらだ。
ギャップイヤーを通じて私は新しいことに挑戦することに慣れることができ、挑戦を成功させることで得られる達成感が私をより成長させ、さらに自分をより愛せるようにしてくれた。 耐えるのが辛くて2〜3週間ほどは本当に帰りたいと思った瞬間が多かったが、結局はそのすべての時間が重なって私自身だけを完全に見つめられる時間にしてくれた。
また私は数多くの新しい人々や新しい言語、新しい環境、新しい状況を経験した。しかしその中で私が気持ちを閉ざして過ごしていたなら何も得られずすぐに帰っていただろう。しかし…心を開いてこちらから近づくと彼らも心を開いて迎えてくれた。新しいことを学び、新しいことを楽しめるようにしてくれた現地で出会った人々とギャップイヤーに感謝する。
# 私だけのベトナム旅行地

北部 / ホーチミン - ハノイ - サパ - ラオカイ - ハノイ - ニンビン - ホーチミン
ホーチミンからハノイへ飛行機で行った。そして帰るときはスリーピングバスを利用した。結論は必ず飛行機に乗れ。スリーピングバスは新しい経験だがとても疲れる。ハノイからサパへ移動するときはアメリカ人の家族と一緒に移動した。
彼らはバンをレンタルして席がたくさんあった。サパへ上るときや降りるときは道がかなり険しいので酔い止めを持って行け。あるいは酔い止め用の袋でも一つ持って行け。私は降りるときに結局吐いた。ラオカイで実際に最も印象的だったのは、中国と川一つで国境を接している様子を見たときだ。
隣に中国人がいて、歩いてベトナムを移動できると教えてくれたとき、私の衝撃はまるで島国のそれのようだった。歩いて他国を移動するということがこんなに衝撃的になり得るとは気づかなかった。その後、ニンビンという地域はタクシーで移動したが本当に美しかった。ただしタクシーで移動するとかなりお金がかかるので、できれば旅行会社を利用するか単にオートバイを借りるのが良いだろう。
南部 / ホーチミン –(ダラット)、(ムイネ)/本当に行きたかったが予算不足で無理だった – メコンデルタ
メコンデルタは日帰りで行くことをおすすめする。1日行くだけでもへとへとになるほど疲れる。理由は、中間中間で船に乗って移動するのが最初は面白いが、2~3回乗り降りすると疲れるからだ。最後の方で乗るカヌーが一番面白くて、他はただ景観を眺めるだけだ。運行中にマングローブの森を通ることがあり、そのとき船の前方で写真を撮らせてくれるので必ず撮ってくることをおすすめする。
ホーチミン市内はただ歩き回っても十分だ。ただし、サイゴン動物園からビンコムセンターや統一会堂といったルートを組むと歩き疲れてしまうので、ウーバーのオートバイを呼んで乗りなさい。1万ドンしかかからず思ったより便利だ。
# 私のギャップイヤーTIP

(言語)
事前の学習方法は特にない。一番良いのは留学、次が語学学校で、最低でも大学入試英語の勉強はもっと真面目にやっておくべきだった…ただし、話せなくてもリスニングだけは必ずやっておこう。聞き取れないと翻訳アプリも使えない。
ただ口を利けなくなるだけだ。もちろん最初は聞き取れるだけで話せず、自尊心が粉々になったが、徐々に単語を思い出し文法を当てはめていけば流暢でなくてもつっかえながら自己紹介くらいはできるようになる。そうしていくうちに相手と冗談を言い合って笑えるようにもなるから、何も準備していないなら高校レベルの単語を覚えるか、せめて海外ドラマ(アメリカドラマ)を見ていきなさい。『フレンズ』は難しいのでむしろ『ゲーム・オブ・スローンズ』を見てみて。面白いし英語も聞き取りやすい。
(宿泊)
宿泊施設はかなり良い。意外と清潔で、Wi-Fiも韓国ほどではないがよくつながり、毎日掃除もしてくれる。しかも冷蔵庫が4台もあり、大きな水を1本買っておけば浄水器もあってずっと飲める。
しかし、夜の授業があると平日にはバスが運行されないためタクシーで来ない限り、ボランティア先で寝泊まりしなければならず、その状態は本当にひどい。例えばボランティア先の部屋で何かを食べるとゴキブリやネズミが出ることもあるので注意すべきだ。
そういうわけで、ギャップイヤーで推薦された場所に泊まるように最大限努力し、それがあまりに疲れるなら周辺に日泊20万ドン、1ヶ月宿泊150万ドンという容赦ない価格設定の宿泊施設があるので1日休むのも悪くない。また授業時間は初めの方で調整できるのでその点を参考に調整してほしい。
英語を誤解したのかと思い1500万ドンかとも考えたが、150万ドンという現地コーディネーターの言葉を信じることにした。これは市内の物価基準ではなくホーチミンの端にある小さな街の計算なので参考にしてほしい。ちなみに150万ドンは約8〜9万ウォン、1500万ドンは約80〜90万ウォンほどだ。

(食事)
宿に着いたら数日間はただで渡されるチケットでレストランのメニューを一通り食べてみなさい。そして一度全部食べたら、その後は道端の市場に飛び込んで英語のように大まかに読めばだいたい通じる。というのも、ここではメニューの種類がやたらと多い店があり(一つの店で約100種類を超えることもある)
市場のような場所で売っている屋台の料理は主に1〜3種類の主力メニューなので大きく表示してあり、壁の文字を大まかに読めば持ってきてくれる。例)PHO BOなら声調が上に書いてあるだろうが無視して「フォー・ボー」と読めば店側が適当に人数分のフォーを持ってきてくれる感じ。だから指差しのようなボディランゲージでも侮辱と受け取られないので、美味しそうなら思い切って入って、読めれば読んで、指差しでもして周りの料理をたくさん食べなさい。
現地の友達がいれば一番いいが…宿で無料で出されるレストランの食事は、食べるものがなければ食べなさい。なぜなら周辺の飲食店で食べる方が宿で無料で出される食事よりずっと近いからだ。本当に毎日暑い中歩いて昼食に行くのは疲れ切る。できるだけ近くで美味しいものを食べなさい。ベトナムは食べ物に関しては本当に美味しいものが探せばたくさんある。
(持ち物)
持ち物は天気を見て用意しなさい。暑ければ靴は必ずサンダルに。(計画に山がないという前提で)そして本やノートは行っても結局使わないから持って行かず、必要なら薄手のものを1つ買えばいい。薬もおばあちゃんがくれるからといって全部持って行くな。君は思ったより強い。実際病気にもあまりならない。たまに一度かかるくらいでせいぜい頭痛薬が少し必要な程度で、湿布を貼るようなことは農村ボランティアに行くなど特別な場合でなければない。
その代わりにタオルをもっと持って行きなさい。君は毎日シャワーを浴びることになるだろう。そしてどんなにボランティア活動でも可愛い服を何枚か持って行きなさい。本当にボランティアだからといってみすぼらしい格好ばかりしていると、大事な瞬間にみすぼらしい姿で写った写真ばかりを見て、自分の内面で自己嫌悪と後悔にうずくまっているかもしれない。(私はそうだった。)
(参加予定者へ)
韓国語の授業は思ったより難しくない。テーマを決めてそのテーマで会話を作ったり、韓国語の映像を通して実生活で使う韓国語を教えると喜ばれる。特に『ランニングマン』や韓国ドラマ、K-POPが好きなので参考にしてください〜
このプロジェクトが特別な理由