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Bonjour! フランス・パリでの1か月暮らし — ギャップイヤー体験記

#「必須」に対する強迫観念からの解放 #パリでやりたいことをすべてやってみた #満足感、さまざまな生き方に触れた

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    でも「必須コースに行って名店を探す」ことについて「わざわざ全部楽しむ必要がある?ちょっと見逃してもいいじゃないか。」

    というマインドを持つようになった。

     

    同じビューを見て何度見ても、来るたびに天気が違い、一緒に見る人が違い、積み重なる思い出の厚さが違うのに、私がセーヌ川で一日中ぼーっとすることを選んだからといって誰が何と言うだろうか。


    Bonjour! フランス・パリで1か月暮らし

    チョン・ジヨン ギャップイヤー族 ギャッパー(26歳、会社員) / 4週間のギャップイヤー

     

     

     

    # 私、パリに行かなければならないので、退職します。

     

     

     

     

    退職。なんと大げさな言葉だろう。『最近の若者』は根気がないからか。さっぱりと辞表を叩きつけて1か月暮らしを決意する人が増えた。1か月暮らしが流行とも流行でないともいう現象になったのも、もしかすると若者の早めの退職と結びついているのではないかと思う。


    私は退職という言葉を使ったが、厳密に言えば『契約満了』だった。契約社員の退職はそれほど格好良くなかった。しかも1年での『契約満了』も、最初は5か月から3か月延長、2か月延長、1か月延長。そしてまた1か月延長。うんざりするほど『終わり』にしたかった契約だった。それでもなぜそんなに延長したのかって?私はあまりに忠実な『乙』だったから。一般的に言えばお人好しとも言う。


    終わりを見据えては挫折し、また挫折する繰り返しの中でくたくたに疲れていた私は、最後の契約延長とともに『パリ行き』を決意した。「私、もう出発することにしたのでこれ以上の契約延長はありません。」と釘を刺した。パリ行きを決めたのは一瞬のことだった。フェイスブックの韓国ギャップイヤーページで『Bonjour フランス・パリで1か月暮らし!』という文字を見たのだ。


    * ゆとりを取り戻したいチョン・ジヨンさんには、自己省察や心の余裕に関するオーダーメイドの1:1個人ミッションが毎日提供され、自分を振り返り計画を立てられるギャップイヤーノートも提供された。

     



    # 心が疲れて旅立ちたくなるたびにギャップイヤーのホームページを覗いていた。

     

     

     

     

    3年前、ヨーロッパ旅行中にローマの街で偶然友人に出会った。ギャップイヤープロジェクトでフランスに2か月滞在することになると言っていた。航空券は自由に取れるからパリへ行く前に他の国を旅行してから行くと言っていた。


    その時が初めてだった。韓国ギャップイヤーを知った瞬間だ。それ以降、心が疲れて旅立ちたくなるたびにギャップイヤーのホームページを覗いた。カナダのデミペア、マルタ語学留学、イタリア家具アカデミー...魅力的なプロジェクトが溢れていた。しかし私はお金がなかった。既にヨーロッパ旅行で全財産を使い果たした後で通帳残高は頻繁に0に転落した。学生だったチョン・ジヨンはそう諦めていた。


    好きな企業で、好きな場所で契約社員として働くことになった。就職活動中の身でアルバイトをしていた私にはキャリア上良い機会だった。しかし契約期間のために新卒採用のシーズンを逃すことになりそうで、そうなると5か月で稼いだお金で東南アジア旅行に行こうと思っていた。私のバケットリストだった『母と旅行する』をするには選択肢はアジアに限られると考えていた。


    私は知っていた。海外旅行にほとんど行けなかった母の願いは『ヴェルサイユ宮殿』に行くことだということを。子どもの頃マンガ『ベルサイユのばら』を見て憧れていたその場所を今でもロマンとして持っている少女のような母。娘には行きたいと言うアメリカの専攻研修や友達とのヨーロッパ旅行を思う存分行きなさいと送り出すのに、自分はどこも行けない母。母と旅行をしたかった。


     

    契約期間は5か月から1年になり、お金はあるのに時間がなくて使えないというサラリーマンの生活がどんなものか身をもって感じた。7時出勤で日常的に残業しながらお金を貯めた。最後に延長された一か月は『退職金』を受け取るための涙の一か月だった。延長期間が1年を12日前に終わる予定になってしまい、目の前で退職金を逃す状況だったのだ。もうこの仕事は本当に嫌だけれど12日のおかげで退職金も受け取れず辞めるのは自分を許せない。そうやって耐えて退職金を受け取った。ついに出発の準備が整った。



    「お母さん、パリに来て。」



    # 1か月ここに住みながらやりたいことを思う存分全部やってから出発しようと誓った。

     


    ちょっと立ち寄るだけのパリだったら私は英語を使っただろう。『Hello』『Thanks』といった簡単な挨拶すら絶対に英語では返してくれないフランス。フランスはプライドの高い国だ。革命に対する誇りだろうか。強国としての誇りだろうか。『ここはフランスだからあなたはフランス語を話すべきだ』と言われているような感じだった。


    到着した初日、スーパーで会計をしているときにもフランス語が聞き取れずにあたふたすることがあった。スーパーから戻るとすぐに某フランス語講座を再生した。第1回、第2回。2回聞いてノートパソコンを閉じた。うん〜無理だ。


    発音自体も見慣れないフランス語は文法がさらにひどかった。否定語を作るのに動詞の前後に文字が付くのだ。ne~pasが登場した瞬間、閉じた。rが[h]の発音でiが[a]の発音だという程度の収穫だけを持って講義をやめた。とにかく5日間の体験受講券だったので5日でフランス語が劇的に上達するはずもなかった。普段よく使いそうな文だけ数個覚えた。


    Où se trouve les toilettes ? (トイレはどこですか?) トイレはどこですか?


    パリはまるでトイレというものが見つからない都市だ。地下鉄の駅に入ればきれいなトイレがたくさんある私の国と違って、まともなトイレを探すのは難しいパリ。カフェの中のトイレでもコインを入れなければ使えないところもあった。街の公衆トイレのブースはトイレカバーもなく、水があふれ出すこともあった。公衆トイレを使うくらいならお金を払ってでもカフェのトイレを使う方がましだと判断した。


     

    地下鉄にエレベーターはおろかエスカレーターさえあまりない不親切なパリでもよかった。たとえ地下鉄にむっとしたにおいが充満していようとも、自分がパリにいるという事実が嬉しかった。ロマンの街、パリ!歩いていると際限なく歩いてしまい、1日に2万歩、3万歩歩いてしまうパリ。Google Earthで旅した『建築学概論』のパリを自分の両足で踏んでいるという事実これが良かった。一か月間ここに住みたいことを存分にやり尽くしてから去ると誓った。




    # 私もそんな旅行をしたことがあり、今回はそうしたくなかった。

     

     

     

     

    「パリだけに一か月?長すぎない?」

    「私、パリは思ってたほどでもなかったから、4日もあれば見るものはもうないと思うよ。」


    人々は私がパリに一か月も行くと言うと「一か月も?」「パリだけ?」という反応だった。ヨーロッパ行きの飛行機代を元を取らなければという典型的な韓国人の考えで、ほとんど毎日スーツケースを持って移動する旅行に固定化された人々。私もそんな旅行をしたことがあり、今回はそうしたくなかった。


    「パリ3日目の私の考え」


    顔写真を一枚撮りに行く旅行ではなく、朝ごはんを食べて寝転びながら「今日はどこ行こう?」と行き先を決める余裕ある旅行が可能だ。たった一か月ではあるけれど『暮らす』のだから!


    宿へすぐ向かうにはもったいない天気だったので橋を一つ渡るとノートルダム大聖堂があり、路地が可愛くて歩いているとシェイクスピア・アンド・カンパニー書店があるという日常!

     

    友達に会いにソウルへ行きバスに乗る道すがら景福宮を見るような気分でパリを楽しめるなんて、これ以上良いことがあるだろうか。次はまた来よう、友達と一緒に来よう、母と一緒に来ようが叶う幸せなパリの毎日だ:)

     

     

    パリ3日目の日記の中で浮かれている私が見えるか。余裕があふれすぎて何の計画もなく目を覚ます毎日が幸せだった。



    「パリ13日目の私の考え」

     

    パリに一か月住む機会があったら皆何をしたいと言うだろうか?


    私がパリに行く前に書いたリストを見ると「一日中美術館から出ずにゆっくり見る」「一日中セーヌ川のほとりに座ってぼーっとする」「目的なく歩く」などがある。時間の制約なしにその時間、その空間をまるごと楽しむことを夢見ていたようだ。共通点としては何も考えずに『休む』ことを楽しみたいという意欲が反映されているようでもある。


     

    結論から言うと全部やってみた。本当に。全部。パリでは本当に大したことではなかったからだ。


    パリ13日目のブログ投稿をしながら、セーヌ川に座って2時間ぼーっとした日を思い出しながらこんな文章を書いていた。


    実はパリのすべての観光地を行ったわけではない。でも「必須コースに行って名店を探し回ること」に対して「わざわざ全部楽しむ必要ある?ちょっと見逃してもどうってことない」というマインドを持つようになった。


     

    同じ景色を何度見ても来るたびに天気が違い、一緒に見る人が違い、積み重なる思い出の厚みが異なるのに私がセーヌ川で一日中ぼーっとすることを選んだとして誰が何か言うだろうか。




    # ただの旅行ではなく『ギャップイヤー』だから自分に集中したかった。

     

     

     

     

    治安が悪いことで有名なパリで女性が一人で。多くの人が本当に一人で安全なのか、退屈しないかと聞いた。実は一人の時間を持ち、自分自身に問いかけてみたり思索を楽しみたかった。ただの旅行ではなく『ギャップイヤー』だから自分に集中したかった。


    怖くないからか治安の心配は全くしなかった。過剰でない程度の警戒さえしていればいいと思った。(もちろんどれだけ防御しても標的になればやられてしまうのがパリのスリだが。)


    パリに到着した初日から私はノートパソコンを取り出してブログをしていた。バルコニーのベンチに座って庭を眺めながら書き始めた瞬間、民宿の人たちがアイスクリームを買って来た。一緒に食べようと言った。


    パリに来る前、心が疲れていた私はパリでは何の刺激も受けたくなく、人間関係についても非常に懐疑的な態度だった。もう人に飽き飽きしていて、新しい人と仲良くなるためにエネルギーを注ぎたくなかった。


    ところが仲良くなってしまった。たった二日で。


    ギャップイヤーを利用してフランスで1か月暮らしを申し込んだ人たちが同じ宿に集まった。私が到着した5月末時点で私たちの宿には合計8人の長期滞在者がいた。1か月滞在の参加者、留学予定者など、各々パリに長く滞在する理由はさまざまだったが、似た年頃の者同士がよそで同じ宿に住んで時間を過ごすうちに急速に仲良くなった。


    ほとんどが退職者もしくは就職活動中という身分の共通点も一役買っていた。毎晩9時に始まるハッピーアワー(ワインパーティー)は終わる気配がなかった。私を除くほとんどは5月の初め、中旬からこの宿に滞在していたが、私が到着するとすぐに一人また一人と韓国へ帰る時間が迫っていて毎日が送別会だった。私も一緒になって明日がないかのように遊んだ。実際に明日がないこともあって:)


    10日間昼夜問わず一緒に遊び回り、ギャッパーたちが去った後も留学生の友達が残っていた。週に一度会って一緒に深夜1時のホワイトエッフェルを見たりトッポッキを作って食べたり。韓国とまったく同じように友達に会いながら日常を過ごした。場所がパリという点だけが違った。


     

    実際に韓国の友達がパリに来ることもあり、1か月の間に実に3人の友達がパリに来た。地元民になったかのようにパリのあちこちを紹介し、私がよく行く美味しい店にも連れて行ったので、彼らにとって私はすでにパリジェンヌだった。


     


     

    コミュニティを通じて出会った人も多かった。単に一緒に時間を過ごす“同行者”を探して一緒に遊ぶこともあったが、それ以上にコミュニティを通して縁ができ助け合った人が多かった。趣味で写真を撮る会社員の方が無料でスナップ写真を撮ってくれると言ってフォンテーヌブロー城へ撮影に行ったり、イギリスでスリに遭ってスマホを失くした方に私の予備端末を貸したりもした。(紛失に備えてあらかじめ予備端末を持って行っていた。)そういう人たちは韓国に帰ってからも受け渡すものを口実に会い続けていて、今ではまったく他人のように思えない。


    パリまで行ったのに外国人の友達を作らず韓国人ばかり会っているんじゃないか?と思うかもしれない。だが実際、語学学校やボランティアのように一緒にプログラムを受ける外国人がいないプログラムでは現地の友達に出会うのは簡単ではない。スリに怯えて近づいてくるすべての親切に手を振って断ってしまった私のせいかもしれないけれど。まあ、外国人でも韓国人でもどうでもいい。私のパリを一緒に覚えていてくれる人たちがいるのだから。




    # 私たちの旅行は私が全部準備したんだと得意げに肩をすくめた。

     

     

     

     

    母がパリに来た。私が1か月間駆け回っていたパリを紹介する時間が来た。母の願いの『ヴェルサイユ宮殿』にも行く!


    眠りが敏感な母が私の滞在していたドミトリールームでよく眠れるだろうか。食べ物が合わなかったらどうしよう。思ったより良くなかったとがっかりしたらどうしよう。


     

    しかし我が母はやはり我が母だった。体力も意志も私よりずっと充実している我が母は不平不満を一言も言わなかった。旅行の設計者である私を全面的に信頼し、どうなっても満足していた。人々に行ってどうやって旅行してきたのかと聞かれると、私たちの旅行は私が全部準備したんだと肩をすくめた。




    # どうせ私は私で変わらない。代わりに様々な生き方を見て、見る幅を広げているだけだ。

     

     

     

     

    1か月間のパリ生活、3週間のヨーロッパ旅行。合計52日間という時間をヨーロッパで過ごした。就活生の6、7月は下半期の公募を控え、語学、資格、適性検査、企業分析など、毎日スペックを上げなければならない黄金のような時間だ。針の穴のような大企業の採用枠に少しでも自分の存在感を示すために方法を探さなければならない。


    旅の疲れのせいだろうか。簡単には抜け出せないだろうとは予想していたが、ヨーロッパ旅行の余波は大きかった。


    単純に『ただ楽しかった〜』という郷愁ではない。なぜわざわざこの時期に就職準備をしなければならないのか?大韓民国の26歳が正社員の職を得ようと努力しなければなぜ気を使わなければならないのか?『30歳で退職して世界旅行に出ました!』と本を出す人たちになれないだろうか?社会的地位ではなく自分だけを考えて生きることはわがままだろうか?私の好きなことは旅をして、記録して、人々に会うことなのに、私は本当に会社に通う仕事を探さなければならないだろうか。


    もしかしたら就活や勉強をしたくなくて自分に正当性を与えたいだけかもしれない。外国に浸かって酔って2か月でヨーロッパマインドのパッチを当てたが、戻ってきたのは韓国だった。現実だ。散財を楽しみ、YOLOと叫んで楽しく散財したが、すぐに仕事を見つけないとキャリアの空白も口座の空白も埋められない。


    ギャップイヤーが答えをくれるだろうと思っていたら大きな誤算だ。行く前から自分がどんな仕事をしてどう生きるかについての悩みはほとんど毎日のようにしていて、たかだか1か月のギャップイヤーが答えをくれるのならそんなに悩んでいなかっただろう。どうせ私は私で、私は変わらない。代わりにさまざまな生き方を見て見る機会を増やしているだけだ。


     

    そして1か月の「ギャップイヤープログラム」を超えて今年一年全体を私のギャップイヤーにしようと考えていた。まだ私のギャップイヤーは終わっていないから、もう少し彷徨っても大丈夫なことにしよう!




プロジェクトの 理由

このプロジェクトが特別な理由

一歩の勇気を出してください。
残りはギャップイヤーがすべて用意します。