#利他的な価値観を学んだ #重度障がい児のケア経験 #恥ずかしさと申し訳なさ、深い感動

自分と家族のためだけに忙しく過ごしてきた日常でした。時々余裕があれば、困っている誰かのためにボランティアをしてみることがやりがいだと思っていました。ふと見回してみると、世の中は誰かが誰かを助けるという概念というより、互いに善意で頼り合いながら共に成長していく場所でしたね。 翼を失ったカンボジアの障がい児に翼を授けよう ヤン・グムスク ギャップイヤー族 ギャッパー(52歳、会社員)/4週間のギャップイヤー |
私はちゃんと生きているのだろうか?

今は大学生になった息子と娘の進路をともに考え、準備してきたここ4年間、心の片隅では中年の年齢をあっという間に超えてしまうまでの繰り返しの長い日常の中で、本当に私はちゃんと生きているのだろうか?という疑問を抱いていました。
この機会に、27年間特別支援教師として過ごしてきた今の私が、子どもたちの時期に抱いていた夢、達成したかった志や価値について考えてみて、残りの年月に進もうとする道で失ってはならない自分自身と周囲の信頼について、そして私は本当にこの道を喜んで歩んできたのか、これからも変わらず喜んで歩いていけるのかについて考えてみたいと思いました。
* 自分の人生を振り返りたいという欲求が強かったヤン・グムスクさんには、自己省察や新しい挑戦と経験に関するカスタマイズされた1:1の個人ミッションが毎日提供され、自己を見つめ計画を立てられるギャップイヤーノートも提供されました。
今までの生活をしばらく止めて、春・夏・秋・冬を過ごしてみたかった。

27年の会社員生活の中でサバティカル(安息年)を迎え、新しい目で自分、自分の職業、復職後に自分と一緒に過ごす子どもたちや身の回りのことを考えるきっかけが必要だった。小学校の特別支援教師として勤める中、この27年間給料を受け取りながら障がいのある児童を見守ってきた。
障がいのある児童とともにいることには職業以上の意味があったのだろうかと常に疑問に思っていた。1年間の無給休暇。もちろん私はその時間をまるごと『自分』のために使うつもりだった。
そのためにぜひ知っておくべきこと。
''給料''を受け取らずに障がいのある児童と一か月暮らしてみて、新しい目で自分、自分の職業、自分と共に過ごす子どもたちについて考えてみるつもりだ。
繰り返しの長い日常の中で『教師』として過ごす間に過度の義務感や権威の裏に隠された未熟さ、あるいは情熱を引き出して成熟させることが今回のギャップイヤーの目標だった。
今年一年を自分なりの休息のページに定めた後これまでの生活を一度止めて、これまで経験したことのない春、夏、秋、冬を過ごしてみたかった。
子どもたちはまたなんと天使のようで…

私が選んだグループは奉仕機関の子どもたちの中でも最も重い障がいを持つ23名で構成されており、ほとんどの子どもが保育士や教師の助けがなければ外の散歩どころか、食事や排泄の処理も困難な重度の障がいを抱えていた。
施設のスタッフ全員がボランティアの能力や長所・短所をよく把握して、適切に対応している方々のように思えた。最初は子どもたちの腕にオイルマッサージをして、車椅子に乗せて下の階の庭へ散歩に連れて行く仕事をしていた。
肢体不自由の子どもたちを適切に扱うことは少し不慣れだったが、子育ての経験と、言葉で意思疎通できない子どもたちのニーズにわずかでも応えられることが分かってからは、おむつ替え、間食の食事介助、車椅子から床のマットへ子どもを移して横にして休ませるなど、子どもたちのケアの活動が徐々にもっと許されるようになったが、
車椅子で移動させる際に気づかずに子どもを不快にさせている部分があるときには、優しく細かく教えてくれたのでそれまで経験したことのなかった重度障がい児を実際にケアする方法について、自分なりのトレーニングの時間になり得た。
センターの物理的環境は劣悪で、助けを必要とする物品もかなり多く、車椅子も古く故障していて移動中に足を怪我して血を流す子どもも見られ、とても胸が痛んだが、重度障がい児の身の回りの処理を休むことなく繰り返しの大変な仕事をしながらも変わらぬ優しさを失わないスタッフの姿には感動の連続だった。
子どもたちはまたなんと天使のようで…目が合うとすぐに満面の笑みを向けてくれて外へ散歩に出かけるために車椅子を押し始めると、わくわくして楽しんでいる様子が全身から伝わってきた。
持ってきたお金のうちお小遣いを節約することに決め、少額でも子どもたちに必要なものを買ってあげたいと提案したが…私にとっては大金ではなかったが、スタッフと一緒に現地のマーケットへ行ってたくさんの物を購入するというささやかな充実感もあった。
# 小さな成長ドラマを一つ観たような、嬉しい感動を自分の人生の1ページに加えてみる。

カンボジアはとても暑く、クメール・ルージュのジェノサイドという不幸な歴史を抱えた貧しい国くらいにしか認識していなかった。貧しい国のかわいそうな子どもたちを助けたいという気持ちで始めたボランティアは終えるにあたり心の中には誇らしさよりも恥ずかしさと申し訳なさが少し大きく居座っている。
その理由は第一に、私が出会ったカンボジアの人々は、貧しい国で不幸な歴史を抱えていながらも、善良な態度で未来に向かって進んでいるという印象を受けたからだ。必要な支援を体系的に受け入れつつ、絶えず自分たちの役割や進む方向について開かれた心で方向転換を模索しているという印象この現地のボランティア機関に4週間出入りするボランティアや機関スタッフの動きを通して強く伝わってきた。
韓国の団体が重度障害児のための車椅子を支援しており、日本からも多くの財政的支援があるという。(ある日は日本の歯科医が訪れて定期検診を行った。)西洋や東洋の多くの人々が休まずボランティアとして支援し、センターを訪れて子どもたちと遊び、教育し、壁画制作などのプロジェクトを思う存分展開できるようにしている。
ボランティア活動最終日、ディレクターと私が活動していたグループの教師たちは自分たちの子どもたちのために、単なるケア活動や歌を歌ってあげること、遊びのほかにより良いプログラムについて考えていた、私が韓国に戻った今、その子どもたちにはフェイスペインティングという新しくて面白い活動が一つ追加され、楽しそうな様子の写真がFacebookにアップされている。
第二に、ボランティア宿舎で出会った多くの若いボランティアたちから受けた感動である。戦争と搾取の欲望の歴史の一面で理由のない不幸を経験した国に対する漠然とした同情心や人道的責任感から共に良く生きていくという人類愛を実践しようと努める心が本当に美しく感じられた。
不便なボランティア宿舎でいつも笑顔を絶やさず、喜んでトゥクトゥクに乗ってボランティア現場へ通い、費用や不便さを耐えしのぎながら子どもたちが不器用に見せる「サランヘヨ Sara(愛してるよ、サラ)」のような小さなメモに満面の笑みで喜び、より良いプロジェクトを考え分かち合う姿を見ながら、私や私の家族がうまくやっていることだけに充実感を見出していたこれまでの時間が、少し恥ずかしく感じられるのはどうしようもない。
ボランティアと、ボランティアを支援するボランティアセンターのスタッフが一体となって自分自身を見つめ直し、共に進む道を探していく小さな成長ドラマを一つ観たような嬉しい感動を自分の人生の一ページに加えてみる。
# ギャップイヤー期間中に一緒だった人たち

ボランティア宿舎のすべてのスタッフは、ボランティアの活動スケジュールをはじめ個人的な要望にも機敏に対応してくれたようです。色々な国から来た若いボランティアたちの躍動的な姿を見ることができたのはとても楽しい経験でした。私が英語で自由にコミュニケーションをとるのが難しい状況でしたが、皆と一緒の食事時間や休憩時間、そしてルームメイトとはとても愉快でオープンな気持ちで過ごせました。
最終日まで子どもたちの名前や部屋番号を覚えられなかった恥ずかしいおばさん(私)に最後まで明るい笑顔で一緒にいてくれた子どもたちとスタッフに感謝し、皆さんが毎日ますます幸せでありますようにと祈ります。
やはり最終日、予定を終えて深夜バスに乗ってシェムリアップへ行くというルームメイトのサラ・アン・モーリー...慣れないブリティッシュ英語の発音で、ますますクリアな口と耳になったこの4週間。次第に英国式の英語が耳に入ってくるようになったけれど...別れの時間になったね。可愛く優しく素敵なブリティッシュ・ヤングレディたちと同じ部屋を使えて光栄だったよ。英語が苦手な50代のおばさんにいつも変わらぬ笑顔を見せてくれてありがとう。
# ギャップイヤーを経験してから

自分と家族だけのために忙しく過ごしてきた日常でした。時々余裕があれば、困っている誰かのために一度ボランティアをすることがやりがいだと思っていました。振り返ってみると、世界は誰が誰を助けるという概念よりも、お互いがお互いのために善意で頼り合い共に成長していく場所だったのだと気づきました。
# 私だけのカンボジア旅行スポット

プノンペンに北朝鮮のレストランがありました。予定がない日に北朝鮮の従業員たちの公演と平壌冷麺を体験することができました。連休期間中にシェムリアップのアンコールワット遺跡に行きました。土曜と日曜はドルフィンツアーや象ツアーに参加することもでき、日程を終えたあとに近くのホーチミンやラオスに立ち寄りました。
# 私だけのギャップイヤーのTIP

- 行き方
プノンペン空港に遅い時間に到着して、出口に出るとギャップイヤーの案内板を持った担当ドライバーに問題なく会え、先に到着していたフランス人の女子学生と一緒にボランティア宿舎へトゥクトゥクで移動しました。
- 言語
複雑で長い会話は翻訳アプリの助けを借りることもありましたが、1、2語程度の簡単な言い方や視線やジェスチャーだけでもそれほど困難なく必要なコミュニケーションができました。ボランティアの方々はそもそも様々な国から来ていたので、他国の言語を使う人とも積極的にコミュニケーションし配慮するオープンな心を持っているため可能だったと思います。
- 宿泊
ホテルのような環境ではないのでゴミ程度は自分で片付け、マットレスカバーも自分で取り替えなければなりません。特に難しくはありません。
- 食事
朝食はパンと果物、昼の弁当は前日の夜に申し込まなければなりません。ご飯とメイン料理が1〜2品程度の夕食メニューが用意されます。私は時々温かいスープが恋しくなって近くの食堂を利用しました。ライム汁を絞って食べるクメール風の肉スープは、暑さで疲れた体に染み渡り素晴らしかったです。
- 持ち物
とても暑いので服は頻繁に着替える必要があり、ボランティア宿舎では洗濯が難しいため近くのランドリーに出すことになるので、薄手の服を何枚か持って行く必要があるでしょう。現地の服は比較的安いので近くのマーケットで買って着るのも良いと思います。
- 参加予定者へ
歌やダンス、楽器演奏などの特技が一つくらい…子どもたちや先生たちはとても喜んでくれます。私はそれがなかったので羨ましかったです…もちろん私は誰にでもよく笑いかけるという特技があるので、それなりに歓迎されましたが。
私のギャップイヤーは
経験★★★★★
私が望んでいた以上の良い経験でした。
学び★★★★★
学びもまた、私が期待していた以上でした。
環境★★★★☆
宿泊環境はやや良くない方ですが、過ごす上で大きな問題はありません。ただ、もし私の息子や娘が行くなら少し不便に感じる場所なので4点にしました。
安全★★★★★
夜遅くに一人で出歩かなければ安全面の問題はなさそうです。
余暇★★★★★
物価が安めで、複数の国と国境を接しているので体験旅行の計画を立てやすいです。

自分と家族のためだけに忙しく過ごしてきた日常でした。時々余裕があれば、困っている誰かのためにボランティアをしてみることがやりがいだと思っていました。ふと見回してみると、世の中は誰かが誰かを助けるという概念というより、互いに善意で頼り合いながら共に成長していく場所でしたね。 翼を失ったカンボジアの障がい児に翼を授けよう ヤン・グムスク ギャップイヤー族 ギャッパー(52歳、会社員)/4週間のギャップイヤー |
私はちゃんと生きているのだろうか?

今は大学生になった息子と娘の進路をともに考え、準備してきたここ4年間、心の片隅では中年の年齢をあっという間に超えてしまうまでの繰り返しの長い日常の中で、本当に私はちゃんと生きているのだろうか?という疑問を抱いていました。
この機会に、27年間特別支援教師として過ごしてきた今の私が、子どもたちの時期に抱いていた夢、達成したかった志や価値について考えてみて、残りの年月に進もうとする道で失ってはならない自分自身と周囲の信頼について、そして私は本当にこの道を喜んで歩んできたのか、これからも変わらず喜んで歩いていけるのかについて考えてみたいと思いました。
* 自分の人生を振り返りたいという欲求が強かったヤン・グムスクさんには、自己省察や新しい挑戦と経験に関するカスタマイズされた1:1の個人ミッションが毎日提供され、自己を見つめ計画を立てられるギャップイヤーノートも提供されました。
今までの生活をしばらく止めて、春・夏・秋・冬を過ごしてみたかった。

27年の会社員生活の中でサバティカル(安息年)を迎え、新しい目で自分、自分の職業、復職後に自分と一緒に過ごす子どもたちや身の回りのことを考えるきっかけが必要だった。小学校の特別支援教師として勤める中、この27年間給料を受け取りながら障がいのある児童を見守ってきた。
障がいのある児童とともにいることには職業以上の意味があったのだろうかと常に疑問に思っていた。1年間の無給休暇。もちろん私はその時間をまるごと『自分』のために使うつもりだった。
そのためにぜひ知っておくべきこと。
''給料''を受け取らずに障がいのある児童と一か月暮らしてみて、新しい目で自分、自分の職業、自分と共に過ごす子どもたちについて考えてみるつもりだ。
繰り返しの長い日常の中で『教師』として過ごす間に過度の義務感や権威の裏に隠された未熟さ、あるいは情熱を引き出して成熟させることが今回のギャップイヤーの目標だった。
今年一年を自分なりの休息のページに定めた後これまでの生活を一度止めて、これまで経験したことのない春、夏、秋、冬を過ごしてみたかった。
子どもたちはまたなんと天使のようで…

私が選んだグループは奉仕機関の子どもたちの中でも最も重い障がいを持つ23名で構成されており、ほとんどの子どもが保育士や教師の助けがなければ外の散歩どころか、食事や排泄の処理も困難な重度の障がいを抱えていた。
施設のスタッフ全員がボランティアの能力や長所・短所をよく把握して、適切に対応している方々のように思えた。最初は子どもたちの腕にオイルマッサージをして、車椅子に乗せて下の階の庭へ散歩に連れて行く仕事をしていた。
肢体不自由の子どもたちを適切に扱うことは少し不慣れだったが、子育ての経験と、言葉で意思疎通できない子どもたちのニーズにわずかでも応えられることが分かってからは、おむつ替え、間食の食事介助、車椅子から床のマットへ子どもを移して横にして休ませるなど、子どもたちのケアの活動が徐々にもっと許されるようになったが、
車椅子で移動させる際に気づかずに子どもを不快にさせている部分があるときには、優しく細かく教えてくれたのでそれまで経験したことのなかった重度障がい児を実際にケアする方法について、自分なりのトレーニングの時間になり得た。
センターの物理的環境は劣悪で、助けを必要とする物品もかなり多く、車椅子も古く故障していて移動中に足を怪我して血を流す子どもも見られ、とても胸が痛んだが、重度障がい児の身の回りの処理を休むことなく繰り返しの大変な仕事をしながらも変わらぬ優しさを失わないスタッフの姿には感動の連続だった。
子どもたちはまたなんと天使のようで…目が合うとすぐに満面の笑みを向けてくれて外へ散歩に出かけるために車椅子を押し始めると、わくわくして楽しんでいる様子が全身から伝わってきた。
持ってきたお金のうちお小遣いを節約することに決め、少額でも子どもたちに必要なものを買ってあげたいと提案したが…私にとっては大金ではなかったが、スタッフと一緒に現地のマーケットへ行ってたくさんの物を購入するというささやかな充実感もあった。
# 小さな成長ドラマを一つ観たような、嬉しい感動を自分の人生の1ページに加えてみる。

カンボジアはとても暑く、クメール・ルージュのジェノサイドという不幸な歴史を抱えた貧しい国くらいにしか認識していなかった。貧しい国のかわいそうな子どもたちを助けたいという気持ちで始めたボランティアは終えるにあたり心の中には誇らしさよりも恥ずかしさと申し訳なさが少し大きく居座っている。
その理由は第一に、私が出会ったカンボジアの人々は、貧しい国で不幸な歴史を抱えていながらも、善良な態度で未来に向かって進んでいるという印象を受けたからだ。必要な支援を体系的に受け入れつつ、絶えず自分たちの役割や進む方向について開かれた心で方向転換を模索しているという印象この現地のボランティア機関に4週間出入りするボランティアや機関スタッフの動きを通して強く伝わってきた。
韓国の団体が重度障害児のための車椅子を支援しており、日本からも多くの財政的支援があるという。(ある日は日本の歯科医が訪れて定期検診を行った。)西洋や東洋の多くの人々が休まずボランティアとして支援し、センターを訪れて子どもたちと遊び、教育し、壁画制作などのプロジェクトを思う存分展開できるようにしている。
ボランティア活動最終日、ディレクターと私が活動していたグループの教師たちは自分たちの子どもたちのために、単なるケア活動や歌を歌ってあげること、遊びのほかにより良いプログラムについて考えていた、私が韓国に戻った今、その子どもたちにはフェイスペインティングという新しくて面白い活動が一つ追加され、楽しそうな様子の写真がFacebookにアップされている。
第二に、ボランティア宿舎で出会った多くの若いボランティアたちから受けた感動である。戦争と搾取の欲望の歴史の一面で理由のない不幸を経験した国に対する漠然とした同情心や人道的責任感から共に良く生きていくという人類愛を実践しようと努める心が本当に美しく感じられた。
不便なボランティア宿舎でいつも笑顔を絶やさず、喜んでトゥクトゥクに乗ってボランティア現場へ通い、費用や不便さを耐えしのぎながら子どもたちが不器用に見せる「サランヘヨ Sara(愛してるよ、サラ)」のような小さなメモに満面の笑みで喜び、より良いプロジェクトを考え分かち合う姿を見ながら、私や私の家族がうまくやっていることだけに充実感を見出していたこれまでの時間が、少し恥ずかしく感じられるのはどうしようもない。
ボランティアと、ボランティアを支援するボランティアセンターのスタッフが一体となって自分自身を見つめ直し、共に進む道を探していく小さな成長ドラマを一つ観たような嬉しい感動を自分の人生の一ページに加えてみる。
# ギャップイヤー期間中に一緒だった人たち

ボランティア宿舎のすべてのスタッフは、ボランティアの活動スケジュールをはじめ個人的な要望にも機敏に対応してくれたようです。色々な国から来た若いボランティアたちの躍動的な姿を見ることができたのはとても楽しい経験でした。私が英語で自由にコミュニケーションをとるのが難しい状況でしたが、皆と一緒の食事時間や休憩時間、そしてルームメイトとはとても愉快でオープンな気持ちで過ごせました。
最終日まで子どもたちの名前や部屋番号を覚えられなかった恥ずかしいおばさん(私)に最後まで明るい笑顔で一緒にいてくれた子どもたちとスタッフに感謝し、皆さんが毎日ますます幸せでありますようにと祈ります。
やはり最終日、予定を終えて深夜バスに乗ってシェムリアップへ行くというルームメイトのサラ・アン・モーリー...慣れないブリティッシュ英語の発音で、ますますクリアな口と耳になったこの4週間。次第に英国式の英語が耳に入ってくるようになったけれど...別れの時間になったね。可愛く優しく素敵なブリティッシュ・ヤングレディたちと同じ部屋を使えて光栄だったよ。英語が苦手な50代のおばさんにいつも変わらぬ笑顔を見せてくれてありがとう。
# ギャップイヤーを経験してから

自分と家族だけのために忙しく過ごしてきた日常でした。時々余裕があれば、困っている誰かのために一度ボランティアをすることがやりがいだと思っていました。振り返ってみると、世界は誰が誰を助けるという概念よりも、お互いがお互いのために善意で頼り合い共に成長していく場所だったのだと気づきました。
# 私だけのカンボジア旅行スポット

プノンペンに北朝鮮のレストランがありました。予定がない日に北朝鮮の従業員たちの公演と平壌冷麺を体験することができました。連休期間中にシェムリアップのアンコールワット遺跡に行きました。土曜と日曜はドルフィンツアーや象ツアーに参加することもでき、日程を終えたあとに近くのホーチミンやラオスに立ち寄りました。
# 私だけのギャップイヤーのTIP

- 行き方
プノンペン空港に遅い時間に到着して、出口に出るとギャップイヤーの案内板を持った担当ドライバーに問題なく会え、先に到着していたフランス人の女子学生と一緒にボランティア宿舎へトゥクトゥクで移動しました。
- 言語
複雑で長い会話は翻訳アプリの助けを借りることもありましたが、1、2語程度の簡単な言い方や視線やジェスチャーだけでもそれほど困難なく必要なコミュニケーションができました。ボランティアの方々はそもそも様々な国から来ていたので、他国の言語を使う人とも積極的にコミュニケーションし配慮するオープンな心を持っているため可能だったと思います。
- 宿泊
ホテルのような環境ではないのでゴミ程度は自分で片付け、マットレスカバーも自分で取り替えなければなりません。特に難しくはありません。
- 食事
朝食はパンと果物、昼の弁当は前日の夜に申し込まなければなりません。ご飯とメイン料理が1〜2品程度の夕食メニューが用意されます。私は時々温かいスープが恋しくなって近くの食堂を利用しました。ライム汁を絞って食べるクメール風の肉スープは、暑さで疲れた体に染み渡り素晴らしかったです。
- 持ち物
とても暑いので服は頻繁に着替える必要があり、ボランティア宿舎では洗濯が難しいため近くのランドリーに出すことになるので、薄手の服を何枚か持って行く必要があるでしょう。現地の服は比較的安いので近くのマーケットで買って着るのも良いと思います。
- 参加予定者へ
歌やダンス、楽器演奏などの特技が一つくらい…子どもたちや先生たちはとても喜んでくれます。私はそれがなかったので羨ましかったです…もちろん私は誰にでもよく笑いかけるという特技があるので、それなりに歓迎されましたが。
私のギャップイヤーは
経験★★★★★
私が望んでいた以上の良い経験でした。
学び★★★★★
学びもまた、私が期待していた以上でした。
環境★★★★☆
宿泊環境はやや良くない方ですが、過ごす上で大きな問題はありません。ただ、もし私の息子や娘が行くなら少し不便に感じる場所なので4点にしました。
安全★★★★★
夜遅くに一人で出歩かなければ安全面の問題はなさそうです。
余暇★★★★★
物価が安めで、複数の国と国境を接しているので体験旅行の計画を立てやすいです。
このプロジェクトが特別な理由