#自分を知ることで余裕が持てるようになった #ワーキングホリデーの練習機会と人生の活力を得た #変わった自分に対する満足感を感じた

言葉も通じない遠い国で何でもないように街を歩いていた頃を思い返すと、自然と癒される。こうしてギャップイヤープロジェクトは、参加しただけで人生の活力になってくれる。誰かが休学や退職をして何をすべきか尋ねたら、迷わずギャップイヤーを勧めるだろう。 -パリ ギャップイヤーステイ / キム・ミンジ ギャップイヤー族 ギャッパー / 8週間のギャップイヤー * 現在は終了したプロジェクトです。(2018.08.23時点) |
# 正直、大きな変化は期待せずに来たが、変わった自分の姿に満足した。

パリギャップイヤーステイには、自分の力で行く旅行とワーキングホリデーの練習のために参加した。子どもの頃は両親と一緒にパッケージツアーにも行ったし、団体旅行でヨーロッパにも行ったことがあった。しかし大学生になってからは目的もなく休まずアルバイトや学業に自分を駆り立てていたため、旅行は夢に過ぎなかったが、ギャップイヤーが私の目的になってくれた。
両親に頼らないようお金を貯め、本を調べて旅行ルートを考えるなど、最初から最後まで自分の力で行く初めての旅行が始まった。そしてカナダのワーキングホリデーに申し込んだところ一次合格が出て、最終合格さえ出れば出発できるようになった。
とはいえ、学校に通って寮を使っていた以外は両親と離れたことがない私には不安だったが、ギャップイヤーステイに合格してからは、外国で2か月過ごすギャップイヤーが1年間のワーキングホリデーの良い練習になるだろうと考えた。ギャップイヤーステイを準備しながら考えていた様々な出発の理由は、プロジェクトが終わって振り返ったときにすべて達成されていることを確認できた。
私はギャップイヤーとは自分だけのギャップ(gap)を作る時間だと思った。以前の自分からアップグレードするために成し遂げられる、そして成し遂げなければならないことを目標に設定した。そのうち自分を知る時間を必ず持とうと誓っていたが、数多くの日記や写真、人と接する自分の姿を振り返ることで、20年余りぶりにようやく自分について知ることができた。
韓国にいた頃の私は自分自身を知りたくなく、がっかりしており自責に陥っていたが、ここに来てみると得意なことがあり、意見を言うのをためらわなかったし他の人と違う自分の姿が気に入った。正直、大きな変化は期待せずに来たが、大小の変化で以前とは違う自分の姿に満足した。
# パリでの一日はドアを開けて天気を確認することから始まった。

パリに初めて到着したとき、重いキャリーケースとバックパックを背負ってグーグルマップを見ながらオペラ周辺を一周した。本当に縁もゆかりもないパリに来たなんて実感が湧かず、道も分からず目の前にある駅さえ見逃してしまったという笑えない思い出だ。そんな頼りない感じでパリ生活を始めたが、いつのまにか終わってレポートを書いている。
パリでの一日はドアを開けて天気を確認することから始まった。一日に四季を見られると言われる名声を実感できた。昨日天気が良かったからといって今日も良いとは限らず、朝は良くても午後にはすぐ風が吹くことがあった。しっかり服を重ね着して午前はスタッフの仕事をしたり、木曜日は午前にツアーに出た。
午前にするスタッフの活動はほとんど掃除が主な仕事で、その後はチェックインするゲストを待っていた。ゲストは他の国から来る人、韓国から来た人、留学生など皆パリへの期待で目を輝かせていた。そして午後はツアーに出かけたが、毎日行くエッフェル塔、ルーブル、モンマルトルだが私は不思議と飽きなかった。

雨の日でさえも素敵だった。(毎日雨が降るのは嫌だが、私がいるときはパリにあまり雨が降らなかったからだと思う)休日は都合の合うスタッフと遊びに出かけ、おちゃめな美大のお姉さんと美術館に行ったり、フランス語が少しできるお姉さんとグルメツアーをしたり、唯一の同い年の友達とは雷鳴るジヴェルニーでケバブピクニックをして充実して遊び回った。
そんなふうに思いっきり遊んでいても夕方には必ず時間に合わせて帰ってきた。日が長くなっていっても遅くなるほど危険だし、何よりおいしいおばさんの夕食を逃すわけにはいかなかったからだ。皆仕事が終わった夜はスタッフルームで今日何をして過ごしたか、仕事で辛かったことや面白かったことはなかったかをおしゃべりして、基本1~2時に眠りについた。
こうしてパリでは些細な心配なく『今日は何をすれば楽しく過ごせるだろう』ばかりを考えて過ごした。だからか心が軽くなりストレスでたくさん抜けていた髪も減り、23年間消えなかったクマも消えた。
# パリでの一日はドアを開けて天気を確認することから始まった。

韓国では本当にすべてが速く、速い分だけ背後で誰かが疲れ果てているようだったが、ここでは苦笑いが出るほど皆ゆったりしていた。最初はゆっくりした生活に慣れずイライラしそうだったが今は私も余裕ができた。
この余裕は私の内面が安らかだから生まれるわけでも、金持ちや時間がたっぷりあるお坊ちゃまだから生まれるわけでもなく、実際に体験してみて初めて得られるものだった。一瞬の休む余裕もなかった韓国での生活では絶対に感じることのできなかったため、誰かを捕まえて外の世界に出てあなたの余裕を見つけてこいと言いたくなるほどだった。
こうしたパリ生活で最も忘れられない瞬間は、問題も多く話題も多かったゲストたちや私たちスタッフを送り出して、ひとりでパリでの最後の夜を過ごしたときだった。ツアーに来て時々仕事も手伝ってくれた親しくなったゲストたちがプレゼントまでくださり、本当にパリを去るときには言葉にできないほどの寂しさが押し寄せた。
さらに後にスタッフの中でひとりだけプラハに行ってから最後に韓国に戻ったのだが、静まり返ったスタッフルームでひとり静寂と戦っていた時間は忘れられない。実は性格的に人と会うのが大好きで、一番好きだった人たちが去ってしまったとき皆からは「逞しいね」と褒められたが、自分でも知らなかった弱い一面を見た。家が恋しいからではなく、寂しいから帰りたいという思いだけだった。ステイスタッフとして活動している間、自分はかなりたくましいし言葉も通じない外国でもうまくやっていけると思っていたが、孤独がどれほど大きいものかを実感した。
# 私の旅行記はこんなに多様な人々に会って楽しかったという話でいっぱいだった。

ギャップイヤーステイの良かった点は、宿と食事の心配なくあちこちを回れることだ。もちろんそれに見合うスタッフ活動で代償を払ったが、そのおかげで多くのお金と時間を節約し、人よりもたくさん見て感じることができた。そして気づいたのは、12時間飛行しなければ来られないここも人が暮らす場所だということだ。
旅行記や旅行の投稿を見て、外国は本当に違う、私の国より良いだろうという幻想に浸っていたが、写真では感じられない匂いや雰囲気を体感することができ、スーパーに行って買い物をしている姿を見ると、鼻が大きく、金髪で青い瞳の外国人も今日の夕食のために悩みながら商品を選んでいるのが見えた。韓国で忙しく疲れた生活の休息になっていた旅行記は、意図せず多くの幻想を植え付けていたが、幻想を壊して知らなかったことを知っていくのがとても面白かった。
本当にたくさんの人に会った。まず世界で一番素晴らしい私たちのスタッフたちに出会い、一緒に過ごすのが毎日楽しみで嬉しかった。そしてお客さんの名前を全部覚えられなかったが、特徴で覚えてほとんど全員のことが思い出される。
いたずら好きな兄弟、サッカー選手をやめて学校に戻る前に旅に来た友人、近い将来のパイロット、本の外の世界を見せるために出てきた母子、ゲストブックを楽譜として残してくれたジャズピアニスト、有名になると言っていたお笑い志望者、ヨーロッパ各地の留学生、珍しい男性フローリスト、財布と携帯をスリに取られ予約なしで来たがゆとりを取り戻した方、娘と巡礼の道を歩きに来た母娘、娘は計画だけ立てて一人で来たお母さん、アメリカで働きパリに出張で来た方、大型連休の期間にパリに休暇で来た家族など、特徴も個性も皆違う人たちに会い親しくなって過ごした時間が一つ一つ大切だった。
本では見られなかった本当の旅行話を聞き、重要な情報を得られ、仕事の疲れを彼らと癒すことができて幸せだった。私の旅行記はこんなに多様な人々に会って楽しかったという話でいっぱいだった。
# 私なりのギャップイヤーTIP
(言語)
「外国に出たらみんな英語を使うだろう」という考えは捨てて、その国が使う言語に関心を持つべきだ。(ヨーロッパでは英語を使う国はイギリスだけだということを覚えておくべきだ。アルファベット表記でも発音や意味がまったく異なり、フランス語、ドイツ語、スペイン語が先に表記されている場合が多い。)
私は辞書で調べたりもしたがしっくりこなかったので、現地の人たちの話し方を観察して真似した。例えば、地下鉄でどいてほしいときは「パルドン」、店員を呼ぶときは「エクスキュゼ・ムワ」など、現地の人とたくさん話したわけではないが、彼らがどのように言うかに関心を持って見ていたことが大いに役立った。
(宿泊)
狭くてドライ(浴室が別)、立ったままの生活をするようなところで、私たちの国とは本当に異なる環境なのでかなりのショックを受ける覚悟をして行くのがよいだろう。
(食事)
朝夕は韓国料理が提供され、昼食もスタッフなら出ることが多いので大きな心配はいらない。そしてグルメの国フランスなので外に出て何か買って食べてもどれも美味しくて安い!(ただし加工食品はまずい)
(持ち物)
1. 服は圧縮パックでかさを減らして持って行くと少し多めに持って行けます。(パリは建物が華やかだが無彩色の建物が多いので、単色で色のはっきりした服を持って行くと写真映えします)
2. スキンローションや化粧品類は普段使っているものを持って行くべきだが、シャンプー、リンス、ボディ製品は現地で買う方が安くて性能もずっと良い。
3. 預け荷物のキャリーケースの中に機内持ち込み用のキャリーを入れて行ってください。後で荷物が飛躍的に増えるので機内持ち込み用に移し替えられるように用意しましょう。(ヨーロッパ人は旅行に行くことが多く旅行鞄が安く済むが、既にキャリーがあるならそのお金を少しでも節約してもっと食べたり買ったりしてください)
4. サングラスとつばのある帽子を必ず持って行ってください。(キャップやスナップバックではなく)日差しは暖かく穏やかに差すのではなく、全てを焼き尽くすつもりで照りつけます。目はサングラスをしてもまぶしくてしかめ面になり、頭皮は熱を受けて赤くなるので帽子をかぶってください。ヨーロッパの人々がサングラスをかけて帽子を被るのは決してファッションではありません。
(参加予定者へ)
自分一人で活動を探したり海外に出るのが怖いとき、ギャップイヤーは頼もしい助っ人でありプランナーになってくれる。しかし行ってしまえば韓国のように連絡がすぐに取れるわけでもなく、状況が起きたら何でも自分でしなければならないので勇気を出す練習をして来ると良い。
韓国とはまったく異なる状況や韓国では経験できない状況が突然起こるが、勇気を出したことのある人は出せるので、自分の声を出す練習をして行けば言葉が通じない海外でも自分のことを堂々と主張できる。
# 私なりのパリの旅スポット

私は最初から韓国から直接パリに入り、スタッフの仕事をしている間は遠くへ回るにはスケジュールが自由にならないツアースタッフだった。そもそも一人で初めて行く海外旅行だからパリだけでも充実して見ようと思っていたので他の国に行くことにはあまり欲張らなかった。
そんなふうに気楽にパリのあちこちを見て回った。ガイドブックに一ページしか載っていない場所へも行き、東洋人がほとんどいないような所にも足を運び、パリが目を閉じても思い浮かぶほど心に残った。
またパリに行くなら必ず訪れたいのはルーヴル美術館、オルセー美術館、パンテオン、オペラ座、フォンテーヌブロー、リュクサンブール公園、ディズニーランドだ。
これらはパリを最もパリらしく見ることができる場所で、観光客も比較的少なく落ち着いて回れた所だった。ルーヴルとオルセーは絶対に夜間開館に行くべきだ。団体観光客もあまりおらず、作品を見るにも写真を撮るにもとても良かった。
パンテオンは教会のような外観だが、パリを輝かせた偉人たちの墓所だ。規模は大きくないが屋上に上って旧市街を低く見下ろす眺めは、どの展望台よりも素晴らしかったと言える。
オペラ・ガルニエは、ここが劇場だとは信じられない建物だ。ガルニエは意図的にヴェルサイユより華やかに建てた場所で、中に入るとドレスや燕尾服を着た貴族たちが歩いていそうなロビーとホールに出会う。韓国語のオーディオガイドもあり、広すぎないので見学しやすい場所だった。
フォンテーヌブローはアヴォン駅にあるナポレオンの城だ。フランスの城の中でも古く暗く冷たい雰囲気を湛えているが、ナポレオンの威厳と周囲の森を見ていると、ナポレオンがパリではなくここを選んだ理由がすぐに分かった。特にアヴォン駅からフォンテーヌブロー城へ歩いて行く森の道は、道の先に馬車が現れそうな森だった。
リュクサンブール公園はパンテオンの前にある公園で、チュイルリーよりも地元の人に出会える場所だ。ちょっとした軽食を買って公園に座り、青い空を眺めていると、隣に座る外国人のようにパリの人になった気分になるところだ。
ヨーロッパで唯一パリにあるディズニーランドは、アニメやキャラクターが好きな私にとって天国だった。行った時期が幸運にもパリ・ディズニーランドの25周年イベントが始まったばかりの頃で、これまでにないアトラクションやイルミネーションを見ることができた。足はひどく痛く疲れていたが、最後の花火を見ながら泣いたことは忘れられない。しびれた足を引きずりながらディズニーを出る時でも、明日また来たいと言いたくなるほどだった。
# もし誰かが休学や退職をして何をすべきか尋ねられたら、躊躇なくギャップイヤーを勧めるだろう。

ギャップイヤーステイに行く前の私はロボットのようだった。学校に通いながら週末にアルバイトをし、休暇中は平日も週末もアルバイトをこなし、教会活動やその他の対外活動にまで目を光らせて自分を狂ったように追い込んでいた。
自分よりもっと頑張っている人がいるだろうと、私は何もしないのと同じだと自分を鞭打つことに忙しかったが、今では余裕を持って走ることを覚えた。心が焦りそうになると、パリでの時間を思い返すことにしている。
自分の最大の長所と最大の短所を知ることになった77日間の夢は、83編の日記、約1500枚の動画と写真が、これがすべて実話だったことを物語っている。
69日間のスタッフ活動、初めての大統領選であり国外投票、ディズニーランド、フランス革命の一場面を見ているかのようなフランス大統領選デモ現場、移動遊園地、ミュージアムパスがなくても博物館を自由に回れたこと、肉パーティー、聖書暦を守るための頻繁な休日、ひとりで行ったプラハ、雨で寒くて面倒になり何もしなかった日々まで生々しく覚えている。
言葉も通じない遠い国で何の不安もなく街を歩いていたあの時を思い返すと、自然と癒される。このようにギャップイヤープロジェクトは、訪れたというだけで人生の活力になってくれる。誰かが休学や退職をして何をすべきか尋ねられたら、ためらわずギャップイヤーを勧めるだろう。
そしてパリから帰って数日後、嬉しい知らせが届いた。6か月ぶりについにカナダのワーキングホリデーに最終合格した。パリでの練習が終わり、本当に本番が始まる気がした。パリでの経験がワーキングホリデーの良い基盤となり、残りの期間を着実に準備しようと思う。6か月後、カナダで再び始まる私のギャップイヤーが楽しみだ。
ギャップイヤーのスタートを韓国ギャップイヤーで始められて嬉しかったし、気にかけてくれた担当者の方、宿のオーナーさんにも感謝しています。

言葉も通じない遠い国で何でもないように街を歩いていた頃を思い返すと、自然と癒される。こうしてギャップイヤープロジェクトは、参加しただけで人生の活力になってくれる。誰かが休学や退職をして何をすべきか尋ねたら、迷わずギャップイヤーを勧めるだろう。 -パリ ギャップイヤーステイ / キム・ミンジ ギャップイヤー族 ギャッパー / 8週間のギャップイヤー * 現在は終了したプロジェクトです。(2018.08.23時点) |
# 正直、大きな変化は期待せずに来たが、変わった自分の姿に満足した。

パリギャップイヤーステイには、自分の力で行く旅行とワーキングホリデーの練習のために参加した。子どもの頃は両親と一緒にパッケージツアーにも行ったし、団体旅行でヨーロッパにも行ったことがあった。しかし大学生になってからは目的もなく休まずアルバイトや学業に自分を駆り立てていたため、旅行は夢に過ぎなかったが、ギャップイヤーが私の目的になってくれた。
両親に頼らないようお金を貯め、本を調べて旅行ルートを考えるなど、最初から最後まで自分の力で行く初めての旅行が始まった。そしてカナダのワーキングホリデーに申し込んだところ一次合格が出て、最終合格さえ出れば出発できるようになった。
とはいえ、学校に通って寮を使っていた以外は両親と離れたことがない私には不安だったが、ギャップイヤーステイに合格してからは、外国で2か月過ごすギャップイヤーが1年間のワーキングホリデーの良い練習になるだろうと考えた。ギャップイヤーステイを準備しながら考えていた様々な出発の理由は、プロジェクトが終わって振り返ったときにすべて達成されていることを確認できた。
私はギャップイヤーとは自分だけのギャップ(gap)を作る時間だと思った。以前の自分からアップグレードするために成し遂げられる、そして成し遂げなければならないことを目標に設定した。そのうち自分を知る時間を必ず持とうと誓っていたが、数多くの日記や写真、人と接する自分の姿を振り返ることで、20年余りぶりにようやく自分について知ることができた。
韓国にいた頃の私は自分自身を知りたくなく、がっかりしており自責に陥っていたが、ここに来てみると得意なことがあり、意見を言うのをためらわなかったし他の人と違う自分の姿が気に入った。正直、大きな変化は期待せずに来たが、大小の変化で以前とは違う自分の姿に満足した。
# パリでの一日はドアを開けて天気を確認することから始まった。

パリに初めて到着したとき、重いキャリーケースとバックパックを背負ってグーグルマップを見ながらオペラ周辺を一周した。本当に縁もゆかりもないパリに来たなんて実感が湧かず、道も分からず目の前にある駅さえ見逃してしまったという笑えない思い出だ。そんな頼りない感じでパリ生活を始めたが、いつのまにか終わってレポートを書いている。
パリでの一日はドアを開けて天気を確認することから始まった。一日に四季を見られると言われる名声を実感できた。昨日天気が良かったからといって今日も良いとは限らず、朝は良くても午後にはすぐ風が吹くことがあった。しっかり服を重ね着して午前はスタッフの仕事をしたり、木曜日は午前にツアーに出た。
午前にするスタッフの活動はほとんど掃除が主な仕事で、その後はチェックインするゲストを待っていた。ゲストは他の国から来る人、韓国から来た人、留学生など皆パリへの期待で目を輝かせていた。そして午後はツアーに出かけたが、毎日行くエッフェル塔、ルーブル、モンマルトルだが私は不思議と飽きなかった。

雨の日でさえも素敵だった。(毎日雨が降るのは嫌だが、私がいるときはパリにあまり雨が降らなかったからだと思う)休日は都合の合うスタッフと遊びに出かけ、おちゃめな美大のお姉さんと美術館に行ったり、フランス語が少しできるお姉さんとグルメツアーをしたり、唯一の同い年の友達とは雷鳴るジヴェルニーでケバブピクニックをして充実して遊び回った。
そんなふうに思いっきり遊んでいても夕方には必ず時間に合わせて帰ってきた。日が長くなっていっても遅くなるほど危険だし、何よりおいしいおばさんの夕食を逃すわけにはいかなかったからだ。皆仕事が終わった夜はスタッフルームで今日何をして過ごしたか、仕事で辛かったことや面白かったことはなかったかをおしゃべりして、基本1~2時に眠りについた。
こうしてパリでは些細な心配なく『今日は何をすれば楽しく過ごせるだろう』ばかりを考えて過ごした。だからか心が軽くなりストレスでたくさん抜けていた髪も減り、23年間消えなかったクマも消えた。
# パリでの一日はドアを開けて天気を確認することから始まった。

韓国では本当にすべてが速く、速い分だけ背後で誰かが疲れ果てているようだったが、ここでは苦笑いが出るほど皆ゆったりしていた。最初はゆっくりした生活に慣れずイライラしそうだったが今は私も余裕ができた。
この余裕は私の内面が安らかだから生まれるわけでも、金持ちや時間がたっぷりあるお坊ちゃまだから生まれるわけでもなく、実際に体験してみて初めて得られるものだった。一瞬の休む余裕もなかった韓国での生活では絶対に感じることのできなかったため、誰かを捕まえて外の世界に出てあなたの余裕を見つけてこいと言いたくなるほどだった。
こうしたパリ生活で最も忘れられない瞬間は、問題も多く話題も多かったゲストたちや私たちスタッフを送り出して、ひとりでパリでの最後の夜を過ごしたときだった。ツアーに来て時々仕事も手伝ってくれた親しくなったゲストたちがプレゼントまでくださり、本当にパリを去るときには言葉にできないほどの寂しさが押し寄せた。
さらに後にスタッフの中でひとりだけプラハに行ってから最後に韓国に戻ったのだが、静まり返ったスタッフルームでひとり静寂と戦っていた時間は忘れられない。実は性格的に人と会うのが大好きで、一番好きだった人たちが去ってしまったとき皆からは「逞しいね」と褒められたが、自分でも知らなかった弱い一面を見た。家が恋しいからではなく、寂しいから帰りたいという思いだけだった。ステイスタッフとして活動している間、自分はかなりたくましいし言葉も通じない外国でもうまくやっていけると思っていたが、孤独がどれほど大きいものかを実感した。
# 私の旅行記はこんなに多様な人々に会って楽しかったという話でいっぱいだった。

ギャップイヤーステイの良かった点は、宿と食事の心配なくあちこちを回れることだ。もちろんそれに見合うスタッフ活動で代償を払ったが、そのおかげで多くのお金と時間を節約し、人よりもたくさん見て感じることができた。そして気づいたのは、12時間飛行しなければ来られないここも人が暮らす場所だということだ。
旅行記や旅行の投稿を見て、外国は本当に違う、私の国より良いだろうという幻想に浸っていたが、写真では感じられない匂いや雰囲気を体感することができ、スーパーに行って買い物をしている姿を見ると、鼻が大きく、金髪で青い瞳の外国人も今日の夕食のために悩みながら商品を選んでいるのが見えた。韓国で忙しく疲れた生活の休息になっていた旅行記は、意図せず多くの幻想を植え付けていたが、幻想を壊して知らなかったことを知っていくのがとても面白かった。
本当にたくさんの人に会った。まず世界で一番素晴らしい私たちのスタッフたちに出会い、一緒に過ごすのが毎日楽しみで嬉しかった。そしてお客さんの名前を全部覚えられなかったが、特徴で覚えてほとんど全員のことが思い出される。
いたずら好きな兄弟、サッカー選手をやめて学校に戻る前に旅に来た友人、近い将来のパイロット、本の外の世界を見せるために出てきた母子、ゲストブックを楽譜として残してくれたジャズピアニスト、有名になると言っていたお笑い志望者、ヨーロッパ各地の留学生、珍しい男性フローリスト、財布と携帯をスリに取られ予約なしで来たがゆとりを取り戻した方、娘と巡礼の道を歩きに来た母娘、娘は計画だけ立てて一人で来たお母さん、アメリカで働きパリに出張で来た方、大型連休の期間にパリに休暇で来た家族など、特徴も個性も皆違う人たちに会い親しくなって過ごした時間が一つ一つ大切だった。
本では見られなかった本当の旅行話を聞き、重要な情報を得られ、仕事の疲れを彼らと癒すことができて幸せだった。私の旅行記はこんなに多様な人々に会って楽しかったという話でいっぱいだった。
# 私なりのギャップイヤーTIP
(言語)
「外国に出たらみんな英語を使うだろう」という考えは捨てて、その国が使う言語に関心を持つべきだ。(ヨーロッパでは英語を使う国はイギリスだけだということを覚えておくべきだ。アルファベット表記でも発音や意味がまったく異なり、フランス語、ドイツ語、スペイン語が先に表記されている場合が多い。)
私は辞書で調べたりもしたがしっくりこなかったので、現地の人たちの話し方を観察して真似した。例えば、地下鉄でどいてほしいときは「パルドン」、店員を呼ぶときは「エクスキュゼ・ムワ」など、現地の人とたくさん話したわけではないが、彼らがどのように言うかに関心を持って見ていたことが大いに役立った。
(宿泊)
狭くてドライ(浴室が別)、立ったままの生活をするようなところで、私たちの国とは本当に異なる環境なのでかなりのショックを受ける覚悟をして行くのがよいだろう。
(食事)
朝夕は韓国料理が提供され、昼食もスタッフなら出ることが多いので大きな心配はいらない。そしてグルメの国フランスなので外に出て何か買って食べてもどれも美味しくて安い!(ただし加工食品はまずい)
(持ち物)
1. 服は圧縮パックでかさを減らして持って行くと少し多めに持って行けます。(パリは建物が華やかだが無彩色の建物が多いので、単色で色のはっきりした服を持って行くと写真映えします)
2. スキンローションや化粧品類は普段使っているものを持って行くべきだが、シャンプー、リンス、ボディ製品は現地で買う方が安くて性能もずっと良い。
3. 預け荷物のキャリーケースの中に機内持ち込み用のキャリーを入れて行ってください。後で荷物が飛躍的に増えるので機内持ち込み用に移し替えられるように用意しましょう。(ヨーロッパ人は旅行に行くことが多く旅行鞄が安く済むが、既にキャリーがあるならそのお金を少しでも節約してもっと食べたり買ったりしてください)
4. サングラスとつばのある帽子を必ず持って行ってください。(キャップやスナップバックではなく)日差しは暖かく穏やかに差すのではなく、全てを焼き尽くすつもりで照りつけます。目はサングラスをしてもまぶしくてしかめ面になり、頭皮は熱を受けて赤くなるので帽子をかぶってください。ヨーロッパの人々がサングラスをかけて帽子を被るのは決してファッションではありません。
(参加予定者へ)
自分一人で活動を探したり海外に出るのが怖いとき、ギャップイヤーは頼もしい助っ人でありプランナーになってくれる。しかし行ってしまえば韓国のように連絡がすぐに取れるわけでもなく、状況が起きたら何でも自分でしなければならないので勇気を出す練習をして来ると良い。
韓国とはまったく異なる状況や韓国では経験できない状況が突然起こるが、勇気を出したことのある人は出せるので、自分の声を出す練習をして行けば言葉が通じない海外でも自分のことを堂々と主張できる。
# 私なりのパリの旅スポット

私は最初から韓国から直接パリに入り、スタッフの仕事をしている間は遠くへ回るにはスケジュールが自由にならないツアースタッフだった。そもそも一人で初めて行く海外旅行だからパリだけでも充実して見ようと思っていたので他の国に行くことにはあまり欲張らなかった。
そんなふうに気楽にパリのあちこちを見て回った。ガイドブックに一ページしか載っていない場所へも行き、東洋人がほとんどいないような所にも足を運び、パリが目を閉じても思い浮かぶほど心に残った。
またパリに行くなら必ず訪れたいのはルーヴル美術館、オルセー美術館、パンテオン、オペラ座、フォンテーヌブロー、リュクサンブール公園、ディズニーランドだ。
これらはパリを最もパリらしく見ることができる場所で、観光客も比較的少なく落ち着いて回れた所だった。ルーヴルとオルセーは絶対に夜間開館に行くべきだ。団体観光客もあまりおらず、作品を見るにも写真を撮るにもとても良かった。
パンテオンは教会のような外観だが、パリを輝かせた偉人たちの墓所だ。規模は大きくないが屋上に上って旧市街を低く見下ろす眺めは、どの展望台よりも素晴らしかったと言える。
オペラ・ガルニエは、ここが劇場だとは信じられない建物だ。ガルニエは意図的にヴェルサイユより華やかに建てた場所で、中に入るとドレスや燕尾服を着た貴族たちが歩いていそうなロビーとホールに出会う。韓国語のオーディオガイドもあり、広すぎないので見学しやすい場所だった。
フォンテーヌブローはアヴォン駅にあるナポレオンの城だ。フランスの城の中でも古く暗く冷たい雰囲気を湛えているが、ナポレオンの威厳と周囲の森を見ていると、ナポレオンがパリではなくここを選んだ理由がすぐに分かった。特にアヴォン駅からフォンテーヌブロー城へ歩いて行く森の道は、道の先に馬車が現れそうな森だった。
リュクサンブール公園はパンテオンの前にある公園で、チュイルリーよりも地元の人に出会える場所だ。ちょっとした軽食を買って公園に座り、青い空を眺めていると、隣に座る外国人のようにパリの人になった気分になるところだ。
ヨーロッパで唯一パリにあるディズニーランドは、アニメやキャラクターが好きな私にとって天国だった。行った時期が幸運にもパリ・ディズニーランドの25周年イベントが始まったばかりの頃で、これまでにないアトラクションやイルミネーションを見ることができた。足はひどく痛く疲れていたが、最後の花火を見ながら泣いたことは忘れられない。しびれた足を引きずりながらディズニーを出る時でも、明日また来たいと言いたくなるほどだった。
# もし誰かが休学や退職をして何をすべきか尋ねられたら、躊躇なくギャップイヤーを勧めるだろう。

ギャップイヤーステイに行く前の私はロボットのようだった。学校に通いながら週末にアルバイトをし、休暇中は平日も週末もアルバイトをこなし、教会活動やその他の対外活動にまで目を光らせて自分を狂ったように追い込んでいた。
自分よりもっと頑張っている人がいるだろうと、私は何もしないのと同じだと自分を鞭打つことに忙しかったが、今では余裕を持って走ることを覚えた。心が焦りそうになると、パリでの時間を思い返すことにしている。
自分の最大の長所と最大の短所を知ることになった77日間の夢は、83編の日記、約1500枚の動画と写真が、これがすべて実話だったことを物語っている。
69日間のスタッフ活動、初めての大統領選であり国外投票、ディズニーランド、フランス革命の一場面を見ているかのようなフランス大統領選デモ現場、移動遊園地、ミュージアムパスがなくても博物館を自由に回れたこと、肉パーティー、聖書暦を守るための頻繁な休日、ひとりで行ったプラハ、雨で寒くて面倒になり何もしなかった日々まで生々しく覚えている。
言葉も通じない遠い国で何の不安もなく街を歩いていたあの時を思い返すと、自然と癒される。このようにギャップイヤープロジェクトは、訪れたというだけで人生の活力になってくれる。誰かが休学や退職をして何をすべきか尋ねられたら、ためらわずギャップイヤーを勧めるだろう。
そしてパリから帰って数日後、嬉しい知らせが届いた。6か月ぶりについにカナダのワーキングホリデーに最終合格した。パリでの練習が終わり、本当に本番が始まる気がした。パリでの経験がワーキングホリデーの良い基盤となり、残りの期間を着実に準備しようと思う。6か月後、カナダで再び始まる私のギャップイヤーが楽しみだ。
ギャップイヤーのスタートを韓国ギャップイヤーで始められて嬉しかったし、気にかけてくれた担当者の方、宿のオーナーさんにも感謝しています。
このプロジェクトが特別な理由